父と母を選べなかったように、祖国も選ぶことはできませんでした。
そんな宿命と呼ぶものから,Kon Akiraは、自分で選んだものです。
ペンネ−ムです。 僕は声高に物事を主張するのはあまり好きではありません。でも、 僕はこう思うんだけど、僕はこう生きてきたんだけど、そんな想いは 抱えています。 1997年にインタ−ネットに初めて接しました。カルチャ−ショックでした。その時 冷静に考え、身近な事をきっちり整理しておくことが、このIT革命の 世界で自分を見失わないことと思い、ペ−ジを書き始めました。見るだけ、聞くだけの 時代は終ったんだなと思いました。 貴方は誰?、貴方はどう思う? それに答えて出会が始まるように思います。 よろしかったら僕の想いを覗いて行って下さい。 |
僕は愛知県小牧市大山で生まれました。小学2年の秋、父の勤めのため
稲沢市に転校してきました。生まれ故郷は里山のふもと、川にはウグイ
が泳ぎ、蛍を蚊屋の中に放して眠る夏でした。転校先の川は紡績工場の
廃液で淀み、フナはいましたがザリガニのうごめく川。僕にとって
それは川ではありませんでした。 自宅通学で大学は終り、結婚して名古屋に住んでいましたが、長男の 小学入学前に旧宅を建替え、両親と同居することにしました。小牧と 稲沢。いまではマイカ−で30分もすれば行けます。でも、小学2年の 転校生には微妙な方言の違いがとても大きな出来事でした。僕はその時 、標準語しか話さなくなりました。名古屋弁をしゃべれない子になり ました。息子の小学入学前に落ち付き先を決めたのはその為でした。 もう稲沢の住人になって40年。でも隣の庭の木の風音で季節の予感を 自然に感じられるようになったのは、つい最近のことです。この町 の”はだか祭り”に参加してやっとここが俺の死に場所かなと思える ようになりました。祭りって不思議なものですね。 それぞれの人にそれぞれの人生があるように、それぞれの町にそれぞれの祭り。 僕はこの町の祭りを大切に発信します。それと同じように、発信される 各地の祭りをとても楽しみにいたしております。雲海の上の青空で僕の バル−ンと巡り合ったら、Yahoo!と声をかけてくださいね。 ではその時まで。 |
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