儺追神事外伝


written by  まつきち on 30th Jan 2000



本文中、下線部をクリックすると関連文にリンクします。

 


あの生暖かい感触が忘れ得ぬ思い出となった。まつきちはたまらずその主に一目会いたくなった。

お世話になった地元kon氏のご提供の翌朝の新聞記事(中日新聞尾張版 99/3/1)の中に会社役員・村松 清さんの名前をみつけるや神男(しんおとこ)とそのOBで形成される鉄鉾会(てっしょうかい)に奇妙な親近感を感じずにはいられなかった。

そこには神男の住所もかかれていたので、早速手紙を送ることにした。




村松 清様

拝啓 ますますご隆盛のこととお喜び申し上げます。突然のお便りをお許しください。

私は栃木県宇都宮市在住のまつきちと申します。

この度、2月28日の稲沢市国府宮、尾張大国霊神社 儺追神事に参加し、恐れ多くも貴殿の肉体に触れ、無事に厄を落とすことができました。

三度目の正直とでも言いましょうか、境内参道から楼門をくぐるまでの暫しの間、貴殿を捕まえることができました。

約5分間程でしたでしょうか、でも私にとっては夢心地で10分から15分とも感じられた感極まる一時でありました。

三年間、通い詰めた甲斐があったというべきです。今日、こうしてお手紙するのは翌朝の朝刊「中日新聞」を見て、貴殿のご住所・ご芳名を確認して一言お礼が言いたくて、またこの度の幸運をもっと確かなものにしたいと思う一心から一目でも貴殿にお目にかかれることができたらと乞い願うがためであります。

・・・・・(以下略)・・・・・

平成11年3月3日


 

何度かアクセスを重ねて、ついに面会が実現した。平成11年4月17日 記念すべき一席が設けられたのである。

これもkon氏のおはからいで地元懐石料理店にて、なおい神事を愛する者たち5名(kon氏、N氏、六氏、ken氏とまつきち)が連れ立って、村松氏を囲む会(勝手に国府宮同好会・・・)を催すことができたのである。

主賓の村松氏はこの日も仕事となおい神事を支える各地区奉賛会の祝宴(神事後も約40日間余り神男は鉄鉾会隊長の命令で連日のように繰り広げられる祝宴の主賓として役目を果たさなければならない。)を終えて、午後9時前頃、駆けつけてくださった。なんと義理固い人であろうか。

(会の模様についてはN氏のご好意によりその写真をN氏ご自身のホームページに掲載されています。)

その時交わされた村松氏との一問一答を記します。(但し、村松氏のプライバシーに関するところは省略いたしました。)

後日、お礼状も書きました。

その際も次への伏線をつけて、さらなる盛り上がりを期待したのです。

今度は秋にでも鉄鉾会会員の方々と引き合わせるという有り難いご提案に甘えて・・・平成11年9月8日、第二回国府宮同好会の催行日を特定するため、再び村松氏に手紙を送った。




村松さん、ご無沙汰しております。

その後お変わりなくお過ごしのことと存じます。

さて、北海道のturbo氏が贈ってくれた今年の国府宮のビデオテープを同封いたしますのでご笑納ください。ルックルックで放映された映像などはすでにお持ちであるとは思いますが……。その他にもturbo氏自らが撮影したものも入っております。

また、TVニュースの一部で発見したのですが、群衆の中で私が貴殿をとらえているところがはっきりと確認できました。ビデオを観るたびにあの時の興奮がいまも鮮明になるのを覚えます。

国府宮で裸になるのは今年で3度目になりますが、幸運にも3回目にして神男に触れることができ、今もうれしさがこみあげてまいります。また、こうしてその当事者である村松さんと親交できることを至福のよろこびとするところであります。ありがとうございました。

ところで、4月にお会いした折に「鉄鉾会の皆様と懇談する会」の件ですが、北海道のturbo氏がすでに10月30日の札幌/名古屋便の航空券を手配しておりまして、できましたらそのあたりのご都合をお聞かせ頂ければと希望しております。

kon氏、N氏、六氏、ken氏もそれに合わせる形でその実現を待っておりますので、お忙しいとは存じますが、村松さんとごく親しい方々だけでも結構ですのでご都合をつけていただければ幸せに存じます。

来年は祭りを支える皆様の艱難辛苦をこの目で確認し、祭りの本質を正しく伝え、この祭りをさらに盛大にしていくためのお手伝いをさせていただければと思っております。よいお返事をお待ち申しております。電話で結構ですのでよろしくお願い申し上げます。

  ・・・・・(以下略)・・・・・

平成11年9月8日


10月30日と決まった。この日は北海道のturbo氏も飛び入って、(尾張)一宮駅前の樽げんさんで午後6時半から午後10時少し前までの3時間余り、時の経つのも忘れて、神男たちの勇敢さを称え、まつりにかける情熱、伝承であることの功罪等々、お互いの心を裸にして語り尽くしたものでありました。(なお、この時の会話についてはテレコに録音したものの感度極めて悪く、記録不能と相成りました。・・・このテープは任務完了とともに消滅したのでしょうか。・・・スパイ大作戦か。(笑)フル(古)ーッ!)

(会の模様についてはN氏のご好意によりその写真をN氏ご自身のホームページに掲載されています。)

なお、出席された鉄鉾会の方々は以下の5名でした。

  伊藤竜太郎氏(鉄鉾会副隊長)                  昭和62年2月10日  神男拝命

  永田 浩之氏                            平成 4年2月16日    〃 

  西尾 春彦氏(樽げんご主人)                  平成 5年2月 4日    〃 

  玉腰 辰夫氏                            平成 8年3月 2日    〃

  村松  清氏                             平成11年2月28日    〃

後日、再びお礼状を書きました。


さぁ〜て、お次はっと・・・・

このなおい2000年紀の登場となるのです。国府宮同好会が全国の並み居るなおい神事ファンに捧げる(ホームページ特集なる)一里塚を築く動きがいま、始まろうとしているのです。