太古、伊勢湾の水が引き、島のごとき陸土が現れた。
国霊(くにみたま)神は生産とその基盤をなす国土の神。
人に恵みを与えると共に、時として天災地変の艱難辛苦を与えた。
人智人力を超越した自然神であろう。
本殿東脇に六個の岩を円形に配した磐境(いわくら)がある。 拝殿西に樹齢800〜900年の杉があり, 本殿裏には大杉の根株が保存されていると言われる。 藤原末期から鎌倉時代に神仏習合が始まる。明治維新の神仏分離まで この宮にも、尾張国分寺の一坊であった恩徳寺を移した威徳院と 平安末期作の大日如来座像を安置する大日坊が境内にあった。 大日坊は儺追人が一夜おこもりすることより儺追堂と呼ばれていた。 共に、現在稲沢市長野の万徳寺に移された。 信仰の庶民化で、信仰対象は先祖、偉人を崇拝する人格神に流れが移る。江戸時代の張州府志によれば「尾張大国霊神祠、在国府宮村、大国霊命、大己貴命別称也」とある。このことより、祭神は大己貴命とされ江戸末期には相殿(主祭神と同格の祭神)は四十二神を数えた。 確かに、大己貴命(別名 大国主命、大者主命)は国土創建の第一人者ではあるが昭和十五年、祭神は自然神である国霊神と改められた。 古来の延喜式神名帳以来、別宮の下記二社を含め国府宮三社といわれる。 |