手力雄命


   岩戸伝説 

 日本神話の昔,アマテラスオオミカミが天の岩屋にかくれこの世は暗闇となりました。

八百萬の神々は天の安河原に集まり、策を練っていました。アメノウズメノミコトの

巧みな踊りと八百萬の神々のどよめきに、何事が起こったのかとアマテラスオオミカミ

が岩戸を少し開けました。その一瞬を逃さず、怪力無双のタジカラオノミコトが、岩戸

を取って遠くへ投げた。一方の戸は九州宮崎県の高千穂町へ、そしてもう一方の戸が

信濃国、戸隠へ。岩戸が山となり、戸隠山と呼ばれるようになった。戸隠神社の伝承です。 

ここに登場するタジカラオノミコトが手力雄命です。

  二つの手力雄神社

火祭りを見て、手力雄神社について少し調べてみました。地図を開け、神社の位置を確認

しようと眺めていると、手力雄神社が二つあるではないか。距離にして2.5kmの

位置に。この祭りについて手力雄神社には確たる資料がなく400年程の伝統と聞いてい

ました。そこで、もう一つの手力雄神社を訪れてみました。

 各務原市那加の手力雄神社

 この神社の裏山には磐座(いわくら)があるとパンフレットに写真が掲載されています。

相殿の高御産霊神、神産霊神は日本神話の天地創世の神であります。境内地の古墳は市の

史跡です。神社の古さに驚きました。参拝の時、近所の方がみえたので少し話しをうかが

いました。織田信長は美濃国の斎藤と戦をする。美濃攻めです。この折り織田信長は各務

原の手力雄神社を味方にし、蔵前の手力雄神社に焼き討ちした。そのため蔵前の手力雄

神社は社伝の品を焼失とのことでした。

 各務原は尾張平野の北端、木曽川と美濃の山地の間に広がる台地です。この台地は、ちょ

うど各務原の手力雄神社の森で終わり、急に低くなります。長良川まで続く平地は美濃国

厚見郡と呼び、台地側は美濃国各務郡でした。そのような歴史的背景が信長の美濃攻め

にも現れたものと思われます。



 美濃国各務郡の「村国」氏



各務原台地は厚見郡の平野より2m程高く6000年程前の縄文海進の時も確実に台地

でした。この中央部には縄文時代の一大集落遺跡があります。このような歴史を背景に

大和朝廷の古代豪族村国氏の歴史がここにあります。それを物語るのが村国神社です。

それでは、厚見郡を治めた豪族はだれでしょうか。それは分かりませんが各務郡との境に

国史跡琴塚があることに注目しておきましょう。



 美濃国牟義郡の「牟義都」氏



「関の孫六」で有名な関市は、この厚見郡から山一つ北の位置にある。この関市、郡上踊り

で有名は郡上郡を含めた一帯を治めた豪族がいました。牟義都(ムゲツ)氏です。

古代の鉄は”たたら”と呼ばれます。製鉄には火と水が必要となります。灼熱の”たたら”

を思うように扱うには水を使います。そこでは水蒸気爆発火が起こります。この火祭りを

見てそれを連想しませんか。今、関市は『関鍛冶の起源をさぐる』と題して調査研究中

です。注目いたしましょう。
2000.6.15 by Kon