境川


「岐阜県治水史」(岐阜県昭和17年)を参考に、かっての木曽川主流をたどってみよう。
 各務郡前渡村より下切村を流れ、羽島郡松本村の北部を経過し各務郡三井山 の麓を巡り小佐野、大野の南から北を経、葉栗郡平嶋村を過ぎ、厚見郡芋島 村に至る。 厚見郡東中島村を経て西進し、葉栗郡三宅村にいたり、印食村より西南流し 徳田村の西を経て笠松村の西北を過ぎ柳津村に至る。ここで左派川(足近川)を分流する。 主流は西に向かい北宿村より直道、坂井、東小熊の北を西進し西小熊に至り 長良川に合流する。これを墨俣川と呼んだ。


 平安時代の905年に編纂が開始された律令や格の細則がある。延喜式といいます。全50巻。この中に神社が記載され、延喜式神名帳といいます。巻9、10。尾張国葉栗郡として記載された石作神社阿遲加神社の位置はちょうど境川の南、 尾張国側にあります。境川は、少なくとも900年頃には国を分ける程の木曾川の主流であったと思われます。

2003.5.10
by Kon