江戸時代の呉服商、奥村氏の屋敷。2階建て塗屋造りの母屋、左に薬医門、右に土蔵を配する。 天保13年(1842年)6月22日の犬山大火の直後に建てられ、その後明治32年に改築修理された。 休館日…………水曜日 入館料…………500円 TEL 0568-61-0120 |
玄関の跳ね戸。 土間の奥には金庫蔵 |
徳川幕府が中山道に宿駅制度を設定した1602年から400年になる。
犬山城の対岸に江戸から53番目の鵜沼宿がある。中山道は、ここから「うとう」峠を越えて
二里(約8キロ)の太田宿につながる。この「うとう」峠は、山の中を走る街道で最後の難所
といわれた。現在は通行止めになっています。 江戸時代以前の東山道は鵜沼から犬山に渡河し、善師野を経て可児に 抜けていたという。尾張藩は名古屋城下から小牧宿を通り、善師野、土田の宿を 経て中山道伏見宿に至る街道を整備している。木曽街道と呼ぶ。 参勤交代にはこの街道がもっぱら利用された。木曽街道の途中、楽田追分で犬山へ向かう 街道も分岐していた。これを稲置街道と呼んだ。 中山道の物流は、尾張藩の吸引力を考えれば、鵜沼宿を渡河し、犬山城下を 通り、善師野、土田の宿を経て中山道伏見宿に至るバイパスを多く利用したのではなかろうか。 奥村邸の軒先にある看板は、その事の説明のようだ。 |