稲葉神社と金神社
美濃路稲葉宿の表街道から三宅川の間に集落があり、
そのほぼ中央に稲葉神社がある。
表街道からは、細い路地を伝って第一鳥居に出る。
稲葉神社
第一鳥居
第二鳥居
第三鳥居と拝殿
8月の早朝。ラジオ体操の会場となる。
「尾張徇行記」
今称十二所権現。本国帳曰、中島郡従一位伊奈波名神。
集説曰、稲葉社者、物部印葉連公也。
第二鳥居前の東西の道を西に行くと禅源寺の参道に出る。
2000年春
金華山禅源寺
禅源寺の参道前を更に西に向かうと足立学園に突き当たる。
南北の道路を北に向かい、学園の敷地に隣接し黄金神社の森。
金神社
昨夜の盆踊りのための提灯が残る鳥居
拝殿東に旧社地の土盛り。
「尾張徇行記」
禅源寺界内、今称金社。本国帳曰、従一位金名神。
集説曰、金社者、物部金弓連公也。或曰、尾張金連乎。
「尾張名所図絵」
美濃国岐阜の稲葉山を金華山といひて、金神のおはしますと同じく、
此村名をはじめ、禅源寺の山号どもみな同じきは故ある事なるべし。
明治期「古社寺取調書」
村社伊奈波神社
創立年月不詳ト雖モ、本社及金神社ハ、往古濃州岐阜
伊奈波金華山崩壊シ、忽チ江流ヲ呈シ当地ニ通ジタルト
共ニ漂着ス。里人勧進シテ村里鎮守トナシ、水源ヲ岐阜
ニ基因スルヲ以ツテ伊奈波神社ト称シ、旧村名ヲ稲葉ト
云フ。其后一寺ヲ設ケ金華山禅源寺ト号ス。
美濃国の伊奈波神社、金神社
150年ほど前、「尾張名所図絵」の著者は
「..みな同じきは故ある事なるべし。」と驚きを著した。
この町に住む私も何かあると思います。金華山の岐阜市は
私の青春の彷徨の地です。今でも色々な思い出とともに町並
みを思い浮かべることができます。「古社寺取調書」に記載
された伝承が一つの答えではないでしょうか。
尾張古図を見れば十分な可能性でこの漂着伝承をうけとめられ
る。美濃国厚見郡の物部神社の物部十千根命と尾張国中島郡の
物部印葉連公、物部金弓連公。ここに古代の人の足跡が記録さ
れているように思えてなりません。
2000.8.31
by Kon