尾張野の円空仏

 僕は一冊の小冊子を大切に持っている。教師をしていた父の物だが、譲り受けた。




写真集尾張野の円空仏
昭和42年3月1日発刊

著者
佐藤真、佐藤武、伊藤正三

津島市今市場
金明堂書店
450円(1500部限定)
昭和32年、岐阜県美術館で円空仏展が行われ、
円空仏ブ−ムが起こった。
昭和40年、ベルリンの日本禅美術展で円空仏が紹介された。
斬新な日本仏教美術としての海外評価が後押しをした。

僕も尾張野で育ったが、どこの村にも地蔵堂は見かける。
その片隅に眠っていた円空仏は、「ここにも円空さん」と日の目を見たのだろう。

著者、佐藤真さんが昭和38年8月に津島市天王通りの地蔵堂で発見した千体仏。



序   
「     ...人伝てに聞いては歩き廻った。今日ここに新しい12体の円空仏
  をふくめて発表できるのは欣快なことと感じている。
    表題を尾張野の円空仏としたが、尾西地方(津島、海部、稲沢、中島、一宮)
  に限ったのは、私どもの能力の及ぶ範囲をこれだけと見定め、...」
そして、ここには48の円空仏が紹介されている。





僕がこの本を手にしたのは、多分大学1年の年だった。
就職し、結婚し名古屋に住んでいた。
長男が小学入学を契機に、年老いた両親と同居することにした。
育った町に戻った。

僕は愛知県稲沢市に住んでいる。村の寄合いは公民館で行われる。
昔は尼寺であったが、今は公民館になっている。
ここにも円空仏が2体あったと聞いた。

裸祭の時、この公民館がお宿となる。
10年ぶりに裸で参加した年、記念写真のついでに円空さんを撮らせて頂いた。


 僕の町の観音堂は公民館横の広場にある。
この尾張野の村には、こんな観音堂や地蔵堂はよくある。 村人が守ってきたものだ。



もう一つの円空仏は親指大。



生涯12万体の造仏を祈願し回国した円空は、
64歳で入定する。

覚悟の最後であったなら12万体の祈願は成就したのであろう。

現在5千体程の円空仏が確認されている。
身近なところうに忘れ去られたように眠っている円空仏は
まだまだあるような気がする。


円空仏は三面の木っ端を鉈(ナタ)ハツリで即妙に刻んだものを特徴とする。
僕の村のものは、その典型である。
遊行の地の仮宿で、お礼にと刻むため編出された手法なのかもしれない。

円空は生地、岐阜県羽島市の中観音に17体の円空仏を残している。
洪水で亡くした母を弔う為だったと言われる。
ここの十一面観音は2mと大きく、作りも丹精である。
子供の守り神、鬼子母神と南無大師像も残している。
旅途中、何度も訪れ丹精込めたのだろうか。

村に円空仏があるのだから、かって彼は僕の村を訪れたはずだ。
僕の町には性海寺という古刹がある。
ここに鎌倉時代の作とされる南無大師象がある。

円空はこの南無大師象を拝んだのだろうか。
そんなことを思ったりする。


2001.5.1
by Kon