性海寺
愛知県稲沢市大塚町


大塚山性海寺の縁起伝承

弘仁九年(818)、空海が熱田神宮参詣の折り
老翁の教示により大塚を築き,銅像の歓喜天を埋める。



多宝塔前の拝殿




多宝塔
室町時代中期の建立とされる。


鎌倉時代、中嶋郡主を檀家としこの伽藍が造営された。

郡主、長谷部氏は長氏とも言い,奈良時代東大寺造営に
尾張国中嶋郡茜部郷の戸主として貢進の記録(750年)がある。

長谷部は雄略天皇の名代(なしろ、個人的な領有地)。
早い時期に大和朝廷との関連が、この地にあったことになる。


本堂

本尊は阿弥陀如来
永久三年(1115)浄連源延上人が
信濃善光寺の本尊を模した一光三尊仏という。


聖徳太子像(鎌倉時代)
二歳の正月、東方を向き”南無仏”と合掌すると
掌中に舎利が出現の故事を表す。


本殿須弥壇の羽目板裏の落書き(鎌倉時代)


本堂裏の大塚。

昭和58年調査され
墳径5m、高さ4mの円墳、
巾2m、深さ1mの周溝をもつことが確認された。
5世紀末頃の築造と推定される。


性海寺は大江川の川筋に建つ。川向こうからの塚の全体。


本堂の南、多宝塔の裏に三宮神社がある。


はだか祭りの前日(旧暦1月12日)
もち藁で作った1mもある大わらじを履き 神官が3本の矢を射る。
三宮神社の御武射(おぶじゃ)神事と呼ぶ。



古来の日本の信仰の場、神社は大陸からの仏教と混交し、
神社は寺院の鎮守として生き続けた。

この三宮神社は、この寺の鎮守であったろう。
明治維新の神仏分離により、どちらかが場所を移した例は多い。
だが、この古刹は以前の姿をとどめ続けたように思える。

かっての木曽川本流の三宅川に由来する大江川。
そのほとりにある古墳。
三宮神社の大わらじが登場する神事。

この古刹はこの国の深い歴史をここで刻んだように思える。
そんな時の流れに思いを馳せるのもいいかも。

性海寺は稲沢市美術館の近くです。
一帯は歴史公園として整備されています。
いちど、つゆ時の「あじさい祭」にでも足を運んでみてはいかがですか。


2000.5.13
by Kon