美濃路東枇杷島あたり
名古屋市西区名西、押町


 軒先に提灯が飾られた通りを東に進む。

 車両進入禁止となる交差点。ここで軒先の提灯が終わる。この町内の祭礼が八坂神社提灯祭りということだろう。家の後ろの煙突は銭湯のもの。いまでも銭湯の経営が成り立つのだから、ちょっとした下町ということがわかる。和服の染み抜きの看板やかけつぎの店もある。すこし寂れたとはいえ、立派な通りだ。





名古屋凧の問屋、凧茂本店。
 名古屋凧は江戸から明治に盛んに作られた和凧。蝉、虻(あぶ)、おかめ、福助などの伝統的な絵柄があった。
 囲炉裏の煙によって100年以上燻された竹。これをすす竹と呼ぶ。それ自体、模様が千差万別、今では高級美術品である。名古屋凧は、骨組にこのすす竹を利用していた。軽くて強い。そのためであった。交差する部分は、重なる箇所を削り、上下をはめ込む「組み子」という技法が使われた。
 凧の絵柄は美濃和紙に、まず筆に水だけをつけて描き、その上を墨でなぞる。こうすること、にじんだような独特の線が描き上がった。乾いたら、筒に和紙を巻き付け、ぐっと縮める作業を三〜四回繰り返す。これは「揉み紙」と言い、落ちたショックで破れないための工夫である。
 こうしてで出来上がった名古屋凧は、裏を上にして飾るのが作法であったという。

 今では、すす竹がない。伝統を維持することは本当に難しいことだ。名古屋凧は走らなくてもよく上がる。その仕組みが「袋袖」がついているためだった。蝉に小さな羽がある。その羽が「袋袖」。と、聞いたのだが。ガラス越しに店の中をのぞいて見た。壁に凧が5つほど掛かっているのだが、残念ながら「袋袖」らしきものは分からなかった。お店が開いてる時に、また来てみよう。


2004.5.15 by Kon