台風が近づくと雲の様子が変り風が吹きはじめる。そんな時は,何となく、心が騒いだりする。 私の祖先は南方系かしらと思う。日常に飽きた者の好奇心の高鳴りでしかないのだろうけれど、 南の島にはずっと興味があった。 |
南アフリカ共和国の北、モザンピ−クと400kmの海峡をはさんで
マダガスカル島がある。日本の面積の1.6倍の大きさ。
この島にはライオンやヒョウは生息せず進化の途中で消滅した珍しい植物や動物がいるという。
例えば、猿の先祖、原猿である。23種類を数える。
その爪は人間や猿のように平たくなく爪の一部がリスのように盛り上がっているそうだ。
さらに、三つ目トカゲがいると言われると驚きである。
植物では
「星の王子さま」に登場するバオバブの木。
アフリカに1種類、オ−ストラリアに2種類あるが
このマダガスカルには7種類もある。 2憶年前、南半球にゴンドアナ大陸があり、以後 アフリカ、インド、南米、オ−ストラリア、南極と 分離移動し、6千万年前今の形になったという。 A. Wegenerの大陸移動説に始まるこの説は知っていたが、 植物や動物の写真入りの雑誌記事を読んだ時、妙に納得した。 マダガスカル島はゴンドアナ大陸の生き残りなのだろう。 この記事はずっと記憶に残っていた。 記憶に残っていた理由はもう一つあった。 この島の水田の風景写真である。 まったく30年程前の田舎の風景とそっくり。 稲を作る風景はこんなに似るのかと驚いた。 遠く離れたアフリカの島にどうしてこんな風景があるの? 疑問のままであった。 最近また雑誌を取り出して読んでみた。 ここはアジア系の髪が真っ直ぐなメリナ族と 髪のちじれたアフリカ系のアンタンロイド族がいて、 生活の基本はアジア系だそうだ。 島で使われている舟はアウトリガ−を付けた東南アジアや ポリネシアで見られるものが今でも使われている。 |
若いころ、カメラマンと二人黒潮本流に飛び込んだことがある。
海洋調査船に乗って太平洋のど真ん中まで出た時、.... 総員監視のもとで一気にザブン。真っ先に顔をつけ、海の中をのぞいた。 青い、青い。手も足も、すべてを染めてしまいそうな青が、無限に広が る。青という沈思の色が、底なしの深みへの恐れの色になってくる。あお むけになり、うねりに身をまかせた。明るい海が大きくふくらみ、私の体 を高々と持ち上げたとたん音もなく洋上のかなたへ去っていく。泳いでい るとき、怖くなって船に近づいたら船長にどなられた。「あぶない離れる んだ」。巨大な波の力は自力のないものを容赦なくたたきのめす。小は大 から離れるのが海の鉄則だった。............... 360度水平線の海には、あらゆる天気が見えた。灰色の雲の下は雨、 その隣は曇り、反対側は晴れている。風も四六時中、私達の運命を左右 し続けた。...... 波と雲と風と。夏になると、なぜか本当の海が懐かしい。.... これは8月のお盆の頃の中日新聞の 『編集局デスク』というコラムの切り抜きである。 時速六ノット、アマゾン川の300倍の流量をたたえる海の大河、黒潮。 その上に浮かぶ船と人の光景であるろう。生々しい海の記述に感動した。 大河の表面には大きな波動が伝播している。地震の時は津波となる。 人のいる1点を捉えれば、上下の運動と前後の運動が重なっていると言える。 つまり、楕円の回転軌跡を描いている。それが容赦なく叩きつける力である。 だが、猛スピ−トで人や船を運んだりはしない。時として猛スピ−トで船を運ぶ のは風である。荒れ狂えば命まで奪う。微笑めば爽快な航路を恵むことになる。 この表面を沈思の内に六ノットで運んでいるもの、それが黒潮なのだろう。 1ノットは1852m/hr。六ノットは時速11km。 話をゴンドアナ大陸にもどそう。移動したインド亜大陸が ユーラシア大陸に衝突してヒマラヤ・チベットが隆起した。 10〜20万年前にはすでに現在の山容となったと言われる。 その結果、雲南を中心に放射状のヒビ割れが発生した。 プラマプトラ、イラワジ、サルウィン、チャオプラヤ、メコン、 紅河、珠江、そして揚子江。 ヒマラヤの雪どけの水と雨期の水を集め 南と東に流れる大河である。 この流域にデルタ地帯を形成することになる。 そして稲作地帯を出現させる。 ヒマラヤの山嶺は赤道方面からの南風を遮り、 大陸内陸部を乾燥させた。 5月下旬、インド上空ではヒマラヤの南側を吹いていた 西風のジェット気流が北側に進路を変える。 その時、南では東風のジェット気流、熱帯偏東風が生まれる。 ジェット気流の下のでは 風上の東南アジアや日本では上昇気流が発生し雨が降りやすく、 風下の北アフリカや地中海では下降気流が発生して乾燥する。 これが今から3万年程の前から、くりかえされた水循環である。 この循環の中で人は生き、文明が興亡していったことになる。 |
インドの先端にセイロン島がある。現在国名はスリランア。
この島と海峡を挟んだインド南部にドラヴィダ語族がいる。
その一派、タミル人はスリランアの東北部とインドの
タミルナ−ド州で5千万人を数える。
この地で、紀元前1000年から紀元300年の期間
墓に巨大な石を使う文化が栄えた。巨石文化と呼ばれる。
紀元前200年から400年間の歌集『サンガム』を文化遺産として持つ。
この言語のロ−マ字表記の英文解説辞書
『ドラヴィダ語語源辞典』が発刊されていた。 『日本書紀』や『万葉集』の研究で一家を成していた大野晋氏は ちょうど還暦を迎えた1979年にこの辞書に出会う。 そして、大野晋・学習院大学名誉教授の大著に結実する。 その大著は『日本語の形成』(岩波書店)。 氏のべストセラー『日本語練習帳』は私も講読した一人である。 最近、タミル語の研究に関する新聞記事を目に留めた。そこで ダイジャウト版『日本語の起源』(1954年、岩波新書)を読んだ。 実は、氏は1957年『日本語の起源』の旧版を出版されていた。 日本語は、文法構造をモンゴル語、語彙は歴史の中で種々吸収したと の定説はあった。しかしイネ、アハ、コメといった重要な語彙に 中国語、韓国語等に共通基底語を見出せないまま探求の旅は続いていた。 新版『日本語の起源』の要旨は以下である。 (1)タミル文化を携えた人と物の日本への流入を縄文晩期から 弥生初期に対応と仮定。この時、日本には4母音a,i,u,eを持ち、 母音終止が極めて多いポリネシア語族の、例えばサモア語のような 言語環境があった。 (2)タミル語の受入は原言語環境より子音に次のような対応が生じた。 日本語 −タミル語 k − k s − c t − t n − n f − p、v m − m y − y w − v,p(3)この音韻変化の対応を基に500もの語彙の対応を例示。 日本語の文法構造は朝鮮語、ツング−ス語、モンゴル語、トルコ語と 同じグル−プである。タミル語もそうである。 それに加え、500もの語彙の対応が認められる。 さらに「〜ぞ…つる」のような係り結びの用法に一致を見る。 『万葉集』と『サンガム』に「五・七・五・七・七」等の韻律の 形式同一性を認める。 澄明を旨とする氏の文章により、数学問題の証明のように展開で示される この説を僕は信じてみようと思った。信じるということは、100%の確証はないが その結果の責任はすべて私が負うという行為である。しかし、理解納得しようと いう行為に近いような気がした。 500にも及ぶ対応語彙のうち、稲作、神、祭に関係深い語彙を上げてみる。 (正確な発音記号は省略のため、原本でお確かめ下さい) 日本語 − タミル語 畑 fakake − patukar 田圃 tambo − tampal 稲 ina − enal(粟) ni − nel(稲) 粟 afa − avai 米 kome − kumai 糠 nuka − nukku 餅 moti − motakam 藁 wara − varal 穂 fo − pu 銅 kana、kane − kan(銅) takara − takaram(錫)、taka(貴重な) 機 fata(布、旗、凧)−patam 織 oru − allu aje(織機の一部、後のアゼ)−acce(織機の一部、型) 墓 九州特有の支石墓(Dolmen)、甕棺墓(Urn)は南インドにも多い faka − poku(地面に穴を作る) 忌 imi − im(墓、埋葬地) 天 ama − amar 中 naka、na − na 地 ne(大地)、na − nalam 神kami、kamu(雷、神) − koman(超能力者) kami (上、守) −koman(支配者) 祭 maturu − matu(食べさす、飲ます) 祓harahe、harafu − paravu(礼拝する) 哀 awaremu − avalam(悲哀の情) 好 suki − cuki サビ sabi − campu 恥 fadi − vantu 悪 warusi − varu中国の揚子江流域では紀元前5000年に稲作が行われている。 淅江省杭州の河姆渡遺跡などで確認されている。 日本への稲作の伝来は次のような経路が考えられる。 1 朝鮮半島経由 2 中国江南かた直接 3 南方から 新しい作物が入る場合、その名称も伝わる。紀元前5000年の江南 からの伝来は可能性大に拘わらず中国語に稲作関連の共通語が見出されない。 そのため還暦を過ぎでもなを大野晋氏の旅は終わらなかったのである。 そして、南インドに言語学上からその伝来地を推定したのである。 |
「米」、それは私達の文化を規定する重要な食物である。
人体を形成するアミノ酸は全部で20種類ある。
穀物のなかで、唯一「米」だけがその全部を持っている。
「米」を主食とする人間の強みである。 一概に「米」といっても、「インデイカ」と「ジャポニカ」がある。 「ジャポニカ」の原産は中国揚子江流域と言われ、 「インデイカ」の原産地は熱帯のどこかであるが分かっていない。 二つは別物と考えるべきと言われる。 私達にとっての「米」は「ジャポニカ」である。 その「ジャポニカ」にも温帯と熱帯の2種類がある。 三内丸山遺跡の東にある風張遺跡からは米粒が見つかっている。 年代は3000年前という。縄文後期に東北北端まで米がやってきていた。 熱帯ジャポニカは地域的には今でも西南海地方に見られるが、 温帯ジャポニカがすべてであるのが日本の現状である。 最近のDNA研究からか関東以北の在来種に熱帯の遺伝子を 持つの温帯ジャポニカが認められ、かっては日本全域に 熱帯ジャポニカが生育したものと推定されている。 熱帯ジャポニカは本来焼畑などで栽培されたもので、 あまり肥料を与えると、反ってダメになる品種という。限られ た耕地で手を掛けて収穫を上げる日本の稲作では淘汰 されてしまったことになる。 7000年前とも言われる中国の揚子江流域の稲が温帯か 熱帯ジャポニカかは判明していないが熱帯の可能性が高いといわれる。 紀元前770年から500年間、中国ではアワを主食とする 河北と、この稲を主食とする江南が戦乱の時代を経る。春夏 戦国時代である。勝利したアワ文化圏に稲作が伝わり、 気候風土と律令制の必要性から温帯ジャポニカが確立する。 それが朝鮮半島経由で日本に伝わったとするのが定説である。この経路は 「稲作」のみならず、漢字、仏教の伝来経路である。 だか、最近の考古学の成果、DNA解析の成果は漢字、仏教といった文化以前に、人と 古い 「稲作」は伝来していたことを証明た。 この事は再認識する必要がある。 |
『日本語の起源』の文章から拾えば、タミルの米は
熱帯ジャポニカである(p120参照)。タミル文化
について、もう一つ重要な点を上げれば、文字の点である。
この文化も文字は持たなかった。土器に記されたグラフィティ
と呼ぶ弓や動物の象形記号の段階であったとされる。 日本において文字は大陸の統一国家「唐」の出現 という国際情勢の中で、先進国の文化、文明を必死至に取り入れ、 国の独立性を維持する為の努力において摂取された訳だ。土器に 記されたグラフィティのような象形文字の萌芽はあったにしても、 先進国の文字を学ぶ事が危急を要する情勢であったことは推測に 難くない。しかしである、『万葉集』や『古事記』に見るごとく 漢字は当初、万葉集仮名のごとく表音文字として取り入れられた。 記述すべき、事象や歴史はこの国にはすでに存在していたのである。 強大な帝国「唐」の文化、文明の波に抗して、守べき人とその 歴史がすでに存在していたと言える。その後、遣唐使という積極的な 文化の吸収において、漢字の正確な表意文字としての知識を 吸収し、大和言葉の中に定着していくが、なおかつ、仮名という表音 文字を生み出していったことは、いかに漢字導入以前に人と その文明がすでに「日本」を形成していたかを物語るように思える。 それは近年の発掘成果の縄文期集落や縄文期稲作の存在に対応する。 カミ、ハラエ、アワレといつた今日でもなを 日本精神文化を規定する語彙が漢字導入以前にあった事を大野晋氏は 言語学上明確にしてくれた。大陸の強国「唐」の出現という国際動乱の中で記述 されて日本国の歴史書『古事記』は万葉集仮名で記述されている。漢字の持つ 表意を意識せぬ記述であろう。もし、唐がその時ロ−マ字を使っていたとしよう。 『古事記』はロ−マ字で書き留められたはずだ。もしそうなら、仮名の出現は 不必要で「カミ」はkamiと記述され「祭」はmaturiと書き留められたろう。神話や 伝承は、もう少し単純明快に語り継がれたと思う。表意文字としての漢字 をその後学び取ったことは、かえってこの国の文化と伝統に混乱をもたらしたとも言える。 僕は『古事記』をロ−マ字表記で読んでみたいと思っている。 |
『日本語の起源』が示す日本語とタミル語の関係から日本の成り立ちを
考える時、その地理的関係を巡り疑問が湧く。考えられることは二つ。 (1)古代人が黒潮に巧みに乗り、遥か彼方のセイロン島より渡来した。 (2)かって、沿岸の港を中継地としてタミル語を母語とする海人族がアジア大陸沿岸 部にベルト状に分布していた。中国では、黄河文明を起源とする秦、漢、隋、唐 といった統一国家の歴史の中で、その痕跡は見事に消えてしまった。セイロン島とか 日本列島とかの中国文明の縁辺部にその痕跡が残った。 中国揚子江流域の紀元前5000年に遡る稲作遺跡、河姆渡遺跡などの考古学的解明を 注目して行きたいと思っている。(2)の仮説が真実ではないかと思っているが。 僕は日本の祭と神についてとても興味がある。日本人の信仰心の核とも 言える「タブ−」性はどこからきたのだろうか知りたいと思っている。 『日本語の起源』 の主題ではないが、「弥生人の渡来以前、日本には4母音a,i,u,eを持ち、 母音終止が極めて多いポリネシア語族の、例えばサモア語のような 言語環境があった。」との記述にとても興味が湧く。 台風が近づき雲の様子が変り風が吹きはじめる 時、なんとなく心が騒ぐのはそんなことに関係あるのかなと思ってしまう。それは僕の誇大妄想僻の せいだけだろうか。 |
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