中国の戦国時代と倭族


 紀元前221年、秦が中国を統一するのだが、それ以前に春秋戦国時代がある。 春秋時代(BC770〜403)には、諸侯により氏族制の強い周の制度は継承されていたが、 戦国時代(BC403〜221)になると、周も一諸侯にすぎなくなっていく。下図は戦国時代の中国。

高校教科書「詳細世界史」山川出版社1991年版より

 長江には以前から稲作文化を持つ倭族がいたが、周王室の長子太伯が 後継問題でこの地に逃れ、倭族と共に呉を興した。春秋時代の末、 扶差王のとき、南の越に討たれて滅びる(BC473)。
これを契機に、この地の倭族は朝鮮半島中南部に亡命し、 一部は日本に稲作文化を携え渡来した。
 この時、朝鮮半島北部は燕が属国を支配していた。 この朝鮮半島中南部に渡来し辰国を建てた倭族は、後漢時代(AD25〜220)、馬韓、弁韓、辰韓の 三韓に分離はするが、倭族としての韓族を形成してゆく。