戸田まつり
山車祭



一之割 八幡社 人形4体:采振り、蓮台倒立する親唐子と小唐子2体。

二之割 天神社 人形3体:越後獅子のからくり大小。



三之割 鈴宮社

人形4体:采振り、文字書き唐子、粉ひき唐子2体


戸田の人形は伊勢湾台風で資料が喪失したが、まぼろしの人形師、鬼頭二三の作といわれる。


 戸田の西照寺の記録として、元禄15年(1702)8月15日八幡社の祭礼が認められる。その後、戸田全体の祭りに発展して行ったのだろう。寛政8年(1796)頃に各山車のからくりが製作された。作者の鬼頭二三については西枇杷島町東六軒町の人形胴部に 「寛政八丙辰年四月 先人形 行年八十二歳 鬼頭二三造之」と記されている。




五之割 神明社  人形2体: 采振り、綾渡り唐子。



 昭和11年の戸田山車祭を最後に、五つの割が揃って山車を曳き回す古式山車祭は途絶えていた。66年ぶりに無事行なわれた。その間の各割の保存会の結成がここに結実した。
 祭を拝見して、いつも「どうしてここに山車5両が揃うの」といった疑問がわく。しらべて見ると、確かにその理由が見つかる。伝統ある祭は、その町の伝統を目に見える形にしたオブジェといえそうだ。
 多くの祭りがそうなのだが、若衆が祭りの運営を任せられる。それは、かっての村落経営の知恵であった。こうして復活した「戸田まつり山車祭」は、祭りが地域起しに何よりも力のあるものであることを証明しているように思われる。

 ここの役員さんのハッピは、黒地に染め抜きの粋なもの。幟(のぼり)の染め だそうだ。多分、「道踊り」という特徴がそうさせたのだろう。それとも、露払い役の甲冑武者を半纏の背模様にしたのだろうか。


2004.9.8 by Kon