1939年夏、ロシアと日本が再び戦火を交えた。すでに戦争は騎士道とは無縁で、悪魔のような近代戦争の姿が現れた。スターリンはヒトラーと密約を交わし、西の戦場で壮絶な総力戦を避けた。だが、ポーランドのユダヤ人に絶望的な闇が覆い被さろうとしていた。
バルト海の小国、リトアニアのカウナス日本領事代理SENPO・SUGIHARAは難民に告げた、「ご無事を祈ります」と。彼に出来ることは、闇が閉す前に生きる希望のビザを手渡すことだった。それも、あとひと月しかない。
領事館を閉じ、ベルリン行きの列車が動き出すまでビザを書きつづけた。動き出した列車の窓から、追いかけてくる難民に言った、「許してください、これが精一杯です」と。
少年時代のあこがれ、「西洋」に接し、宗教や人種の壁に立ち尽くすことがあった。
この時代、日本のエリート達は少なからず傷ついていた。「どちらが文明国か、お見せしましょう」、SENPO・SUGIHARAは祈るような気持ちでビザを手渡した。善意のリレーで何人が脱出できるだろう。途中何人倒れるだろう。だが、生きる希望を取り上げることが、誰にできるというのだ。
SENPO・SUGIHARAは、この一年ほどの出来事について、沈黙を守るかのように、ひっそりと生きて逝った。あのめまぐるしい時代の中で、英雄が一夜にして裏切り者になることを、彼は一番よく知っていた。手渡したビザを使うことさえできなかった多くの人達がいたことを、彼は一生忘れることができなかったのだろう。
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