しかし、1万年も溯る時代を考える時
今の地形から古代を想像することは
いくつかの錯誤をもたらす。
たとえば川の位置であり、海岸線である。
1万年前、地球を被う氷河により海面が30mも低下したことは今では周知の事実である。
その変遷を下図で確認して頂きたい。 (アニメ−ションGIF、internet explorer 4.0以上必要) |
200年前は今とほとんど変わらない。 3000年前,海岸線は名古屋、津島当たりにあった。 6000年前,海岸線は大きく平野部に入り込んでいた。 9000年前,海岸線は今とほぼ同じ位置、ただし 土地も低かったことは忘れてはいけない。 若狭湾、琵琶湖、伊勢湾を結ぶ断層による深い谷が 氷河期の終わりの海面上昇で内海となり、 河川により運ばれる土砂により埋め立てられ この平野が出来上がっていったと考えられる。 その間、川の流れは幾多の変遷をした。 今の木曽川の姿はつい最近、人の力によりこの形になった。 主に木材運搬のための江戸時代の土木事業による。 1万年以前、この地に人の営みがあったとしても それは深い地の底に眠ってしまった。 今は大海原の下であった。 もし、巧みに船を操る海人族がいたとすれば 3000年前の津島当たりの海岸線に定住したであろう。 また、陸の狩猟民の勢力拡張の最前線もこの位置であろう。 ここでひとつ注目しておきたいのは、木曽川のこの平野への出口である。 現在犬山城のある少し上流に桃太郎神社がある。 これから上流は両岸に岩山がそそり立ち1万年の昔から ほとんど変わらない姿である。そして田縣神社の位置する部分も 9000年にわたり海の進退には影響されていない。 次の地図と見比べて確認できる。 最初の地図の赤丸が田縣神社の位置である。 赤丸位置にマウスをあわせクリックしてください。 神社周辺の地図が現れます。 神社近くには県内有数の古墳”青塚古墳” そして、田縣神社と関係の深い大縣神社、本宮山が確認できます。 |