菊理媛と白山信仰


 尾張平野から北西を眺めると、近くの伊吹山の後に白山の峰が眺められる。冬、まず白くなるのが白山であろう。 この地からの白山は、一つの峰なのだが、御前峰(ごぜんがみね:2707m)、大汝峰(おおなんじみね:2684m)、別山(べつさん:2399m)からなる。加賀・越前・飛騨・美濃の4ヶ国にまたがって聳え、白山を御神体として仰ぎ見る白山 信仰の歴史は古い。白山神社は全国に2,700社あると言われる。本社は、加賀(石川県鶴来町) の白山比盗_社(しらやまひめじんじゃ)とされ、菊理媛神(くくりひめのかみ)を主祭神とし、伊邪那岐神(いざなぎのかみ)・伊邪那美神(いざなみのかみ)の3柱を祀る。
 伊邪那岐神・伊邪那美神は日本の神話の神々のはじめとして『古事記』に登場し、あまりにも有名であるが、 菊理媛神は登場しない。もうひとつの日本国の正史『日本書記』には、黄泉の国から生還した二人の 口論の仲裁者として登場する。だが、菊理媛神が、どのような系譜の神であるのか、 何を助言したのか、記述はなく謎ではある。
 白山は泰澄大師により養老元年(717)に開山されたと伝わる。一説には。泰澄大師が白山山頂で祀ったのは、 高句麗媛(こうくりひめ)といも言われる。白山に関する中世の書伝にも菊理媛の記述はなく、登場するのは近世 とも言われる。
 ともあれ、この国の信仰は神仏混交、神仏分離というように時代と共に変わって来た。だが、農耕を 生業として五穀豊穣を自然の力に祈念する心は、日本の信仰心の核として連綿と継承されてきたことに違いはない ように思われる。共に暮らす農耕馬を主役とするこの祭礼の伝承は、この地の歴史風土を語り継ぐ貴重な 文化財に違いない。氏子により大切に受継がれて来たこの神事を、21世紀の今拝見させて頂けたことに 感謝し、今後も守り続けられることを願う次第である。

2001.9.17
by Kon