第4章 稲沢軟式庭球協会と私。

  昭和32年1月に稲沢高校の軟式庭球部の顧問教諭をしておられた津坂泰一先生が急逝されました。先生は学生時代には陸上部の選手をしておられたと聞き及んでいましたのに、誠に残念なことで悲しい思いをいたしました。たまたま副顧問をしておりました私に大任がまわって来ました。前にも一寸触れたことがあるが、私は高等工業学校の2年生時代から硬式庭球部に入り、卒業して満鉄に入り大連市で2年間勤務した期間には、可成り熱心に練習に打ち込んだこともありました。其の後業務の関係で次第に遠ざかっておりましたが上述のような事情から、進んでこの役に打ち込むこととなりました。
 この頃、稲沢市旭町に旧校舎があった頃には、校地内にはテニスコートがなく、名鉄国府宮駅の西に名鉄所有のコートが2面あって、これを借用して部活動を行っていました。校舎からテニスコートまでは約1,5kmくらいありました。軟式庭球部の生徒は、授業が終わると運動服に着替えてウオーミングアップの駆け足をしてコートまで通い、又練習が終われば、再び駆け足をして学校に戻るという慣行が厳重に守られていたのである。これは暑い夏の合宿練習の時に特別に参加して呉れた先輩達も当然のこととして後輩達を指導していたのには誠に頭が下がる思いであった。
 昭和33年9月に新しい平野校舎に移転してからは、校地も広くなったので、運動場の南側にテニスコートを建造することの承認を得て、農業土木科生徒の実習として、高低水準測量を行い、テニスコート2面の設計計画を立てた。更に基礎の暗きよ排水の一助として稲沢操車場から機関庫の石炭殻を分けていただき、トラック数台分を埋め立ててクレーコートを建造した。(表面仕上げだけは専門業者、名古屋市の石黒体育施設会社に委託して行ってもらった。)このことは、稲沢市の軟式庭球と私との30年余に及ぶ長き繋りの発端となったのである。
  稲沢町から稲沢市へと発展し始めた昭和30年頃において、住民の中から軟式庭球競技に打ち込むグループはあった。国府宮駅西のテニスコートには、日曜日毎に集まってテニスを楽しむ、稲沢クラブ(世話役、河野実さん)の方々が稲高生徒の良き指導者となっていた。昭和32年から愛知県軟式庭球連盟の傘下に属する尾張部(名古屋市を除く)の17都市(西尾張7市、東尾張10市)を対象とする、軟式庭球対抗大会(団体戦)及び選手権大会(個人)が年間行事として開催されていた。これに加えて県主催で西尾張7都市(一宮、尾西。犬山、江南、岩倉、津島、稲沢)を対象とする西尾張地区県民大会が9月中旬に開催され、年間の締めくくりの形で成果を評価するような状況であった。時期的に開催日時を配当して表示すれば下の表の通りである。

尾張地区における軟式庭球大会の開催状況

 前記した稲沢クラブとしての活動に拍車をかけたのは、稲沢高校軟式庭球愛好会(略称稲高OB会)の結成があった。昭和34年から37年に至る間に活躍した稲沢高校軟式庭球部卒業生が主柱となって、昭和37年の6月に稲沢高校OB会が発足し、四都市大会において軟式庭球女子の部で優勝したのを皮切りとなり、翌昭和38年には「稲沢軟式庭球協会」が設立される事となったのである。
 爾来今日まで35年に亘り、当協会は、稲沢市体育協会の賛下加盟団体の有力一員として活動を続けて来ているのである。 私は昭和44年3月を以って愛知県立稲沢高等学校を退職しましたが、昭和45年2月13日に設立した設計事務所の経営に専念してきました。事務所が稲沢市に存在した事と、高校在職中から軟式庭球競技と関係が深かったという因縁から離れることが出来ず、稲高OB会を始め地域の愛好者の方から御推せんに預かって、昭和45年度から軟式庭球協会の会長となり、長期に亘りその席を汚してまいりました。平成5年度に至って、やっと奥村新一氏に交代していただいたのであって、実に24年の歳月を費やしたのである。この間において、前記の稲沢高校卒業生を始めとして、更に分離独立した稲沢東高校の卒業生で構成する軟式庭球クラブの皆さんの協力をいただいたことは勿論でありますが、更に稲沢市内の各企業(三菱電機製作所、大同毛織、尾西毛糸紡積、酒伊織維[現サカイ名古屋]、日本軽金属、豊田合成、等の軟式庭球クラブの方々、また昭和50年頃から結成された家庭婦人の方々の軟式庭球クラブ(わかばクラブ、大里エコーズクラブ、フレンズクラブ、等)など誠に多数の人たちの協力を頂いて運営を続けてきました。

 この間最も思い出に残るのは、平成5年度において、稲沢ソフトテニス協会30周年記念誌の編集を企画し、度々役員会を設けて協議し、種々構想を討議した上で、稲沢市役所のソフトテニス部長(当時企画課長)大野紀明氏の手配を煩わして、平成6年3月に完成し得たことである。この30周年記念誌の発刊記念式典は、3月27日午後6時より稲沢市体育館多目的ホールに於て開催され、多数の来賓の祝辞を頂き、協会員の参加も多く盛大に行われましたことを誠にうれしく思い出すところであります。