第1章 わが生い立ちの記 | |
第1節 実父母との死別 |
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第2節 養父母との出会いと済南市の生活 |
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第3節 青島へ移転と中国からの撤退 |
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第4節 内地生活と関東大震災。 |
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第5節 父との悲しい別れ |
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第6節 母と子の苦闘の生活。 |
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第7節 名古屋高工3年間の思い出。 |
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第2章 満鉄社員として | |||||||||
第1節 満州大連市への旅立ち |
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第2節 奉天市の生活の思い出 |
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第3節 哈尓浜市への転勤と敗戦 |
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第4節 ソ連軍進駐後の哈尓浜の状況 |
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第5節 日本人遣送の実現とその状況 |
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篠岡村での新しい出発 |
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稲沢高校への転出 |
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自営のための準備 |
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設計事務所の発足 |
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事務所の業態と我が家の変還 |
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父、真造はステッキを携えるも、88才まで
元気に過してまいりました。昨年末、12月27日
腸閉塞で緊急入院、翌1月末に一旦退院の目処
がついたのも束の間、感染症を発症し、3月18日
に永眠いたしました。 世紀を跨いで生きることの喜びだったのでしょうか 2000年の誕生日の日付けで、念願の自分史を 完成させております。生前の皆様との親交に、、 改めてお礼申し上げると共に、一技術者として生きた 日本人の記録として、ここに公開させていただきます。 何か参考にでもなれば幸いです。 2002年4月 Kon |