寛政十二年(1800)編纂「尾張地名考」に下記記載あり。 目久井の切に方角山といふ山あり(中略) 寛政元年酉六月洪水の時方角山崩れて中程より 神鏡三面剣太刀矛など数多出たりし(以下略) |
この古墳は、直径35m、高さ4mの円墳である。一説には全長70mの前方後円墳とも いわれる。 昭和43年に前方部が破壊されたが、 鏡の上に剣がおかれていたといわれ、出土鏡、玉類には朱が付着。 方格規矩鏡は犬山市の東之宮古墳でも出土している、捩形文鏡は 東海市兜山古墳で出土例がある。この古墳の年代は、三角縁神獣鏡 が認められないことより5世紀末の築造と推定された。 |
直径20m、高さ1mの円墳。昭和36年発掘調査
主体部は撹乱されていた。
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直径22m、高さ3.8mの円墳 残存の墳丘半分部分を昭和36年発掘調査 出土品 管玉 1個 5世紀前半(前V期)の築造と推定。 |
明治41年発掘、須恵器出土 7世紀(後UV期)の築造と推定
昭和14年発掘 7世紀(後UV期)の築造と推定
周辺には、弥生時代後期の目久井遺跡、福塚遺跡がある。 古墳時代前期の集落跡が、馬寄地内、木曽川町門間地内ある。 下流、三宅川の稲沢市大塚古墳、日光川と三宅川の合流点の 奥津古墳などより構成されるこの水系の小国に関連する古墳群 ではなかろうか。 |