八幡信仰
 八幡様と呼ばれる神社は全国に3万社はあるといわれ、本宮は九州宇佐神宮(宇佐八幡宮)である。誉田別命(ほんだわけのみこと)を柱に、玉依姫神(比売神)、息長帯姫神(神功皇后、母神)、仲哀天皇(父神)をもって八幡大神と称する。「南無八幡大菩薩」が、八幡大神の仏称である。
 誉田別命は、率先して外国の文明を取り入れた大和朝廷の文化人指導者であった 。早くから仏教と習合していたことが八幡神の大きな特徴であり、奈良東大寺建立の折りには八幡神が祀られた。
 天平12年(740)聖武天皇は東大寺大仏殿の造立を思い立つ。しかしながら、時の朝廷にはその資金がなく困り果てたとき、それを聞き及んだ宇佐八幡宮は、いち早く造立の援助を申し出た。そして八幡宮は全国の神社に呼びかけ、この事業を全国規模に広げた。天宝勝宝元年(749)7月に盧舎那仏は無事完成する。八幡様は全国規模の神となり八幡信仰のブームも起こった。以後、南無八幡大菩薩が東大寺の鎮護神となる。