大朝神社

静岡県沼津市下香貫字山宮前

2001年10月28日(日)


延喜式の伊豆国田方郡の大朝神社は論社多数。ここもその一社。


祭神
「大日霎命」



楊原神社から、この大朝神社に、正月15日に御輿が渡る「神輿洗い」と呼ばれる勇壮な神事があった。
一基を5,60人で担ぐ大きな神輿を渡御して、牛臥の浜に裸で分け入る。先の大戦末期に空襲で神殿もろとも神輿が焼かれ、その後、途絶えた。



後日談「古代であそぼ」掲示板より転載
投稿日:11月07日(水)
海面が上昇していた時代だと牛伏の東麓だけは海(湾)になる。大朝神社はその良港を見下ろす位置になります。 三津湾の地名の由来は牛伏津、江浦津、内浦津??

かたばみ


投稿日:11月07日(水)
牛臥山の北側、現在の狩野川がグッと湾曲するあたりの河口に、島上寺という(確か臨済宗の)寺があります。その寺のご由緒によると、万治2年(1659年)に狩野川の氾濫があり、狩野川の川筋が変わったとの言い伝えがあるようです。  つまり、それ以前は、狩野川は河口直前で急カーブせず、南南東方向へ、(かたばみさん地図による)牛臥湾へ直行していたらしいのです。つまり、狩野川と泥葦原に囲まれた島に牛臥山が位置していたのではないかと思えるのです。島上寺という名称も肯けます。  そう考えると、大朝神社はかつての狩野川河口の湊に面していたことになります。東向きは、日の出向きであるとともに河口向きでもあったのかも知れません。  この川筋を前提にすると、現在の名である「塩場」「塩満」もその位置が理にかないますし、また、平安律令期に「煮かつお」「干しかつお」を納税していたかつお加工場のあった「藤井原」の位置も川筋にほど近く、物流経路がよくわかります。

原田武虎


by Kon