明治10年12月に現在の浅間神社に合祀。一扉二社となる。 |
夕闇のなか、大きな燈篭の上に月が。 一の鳥居の先は旧東海道。 沼津宿の浅間神社として栄えたのだろう。 |
大和朝廷草創期の功臣『和邇(わに)氏』。「和邇」は様々に書かれ,『和尓』『和珥』『丸』とある。 この一族の直系として、各地に部民の流れが残る。 駿河(静岡)・相模(神奈川)・武蔵(東京)・常陸(茨城)・岩代(福島)・陸前(岩手)・陸奥(青森)・羽前(山形)など。 「丸子郷・丸子村・丸子神社…」という地名,社名として残る。甲子園を沸かせた「丸子実業」の名を記憶の方 も多い。信濃(長野県)にも定着している。 |