平成16年国府宮裸祭り

平成16年旧正月は
夕刻から雪で始まった。


明けて2日、標柱が立った。

本年神男は、5名の志願者から 市内在住31歳の男性と決まった。


平成16年2月3日
(旧暦正月13日)
天候晴れ、微風。
気温 例年より高め。

11時半。

正色五四会、南陽五四、五五会の連が国府宮駅西交差点を通過。


13時。祖父江奉賛会が登場。宮に向かった。




14時50分。国府宮第二鳥居



15時10分。国府宮参道






16時00分。裸連の最後は手桶隊。参道を埋めた裸衆の中を進む。


楼門前の儺追笹 PHOTO by パインツリー





参道に戻った手桶衆が水を撒く。通路を確保する。


16時15分。参道に水しぶきが舞った




16時30分。参道通路

板囲いの参道への通路は4箇所ほどしかない。このどこかに神男は登場する。 今年は東側の二つに集中的に水が撒かれた。横殴りの鉄砲水を背に受けて 裸衆は腕組みして待つ。だが、ここでないかもしれない。神守一番隊の隊長 が決める。誰にも分からない。



参道東、第三鳥居近くから神男は集団の中に飛び込んだ。すぐに渦が出来、参道を西に、東に楼門を目指す。


 広場を抜けた渦は楼門に向かう。だが、裸衆にブロックされ東の板塀脇でピタリト動かなくなった。まだ儺追殿には半分も進んでいない。

 手桶衆のバツ印で渦がひととき散った。やっと前に進みはじめた。



17時15分。儺追殿この後、無事引き上げが終わり、祭りは終了した。


 8400の裸男が集まり、13万の観衆を惹きつけた「HADAKA MATURI」。 今年も、こうして終わった。
 一年の喜びや悲しみを、その一瞬に燃えあがらせる。 「MATURI」の本質を、ものの見事に再現する「はだか祭り」は尾張平野に春を呼ぶに欠かせない行事である。1200年の伝統の上に、去年の悲しみを乗り越えてこうして執り行われた。

 かって、女達は朝から湯を沸かし、出て行く男衆の身を清めた。帰ってくる 夫や客人を癒した。通行人を捕え難負人に仕立たとも言われるこの祭り にも、もてなしの伝統はあった。「お宿」として今も受け継がれている。 名門「お宿」、久留宮家はその御一統の悲しみに服し、本年は灯を消しておられた。 時代の変遷やその年の事情により、祭りの形は変わる。参加できない女にとって、「家」の行事であったこの祭り。今では「夫」の行事となり、 裸男に伴走するサポーターとして登場する。それはそれでいいことだろう。

 頭から被った水の惨めさの中、めぐり合った若いお二人にとって、今年の祭りはどんな祭りだったのだろう。それぞれの祭りの中で 伝統が受け継がれ,作られて行く。今日と1200年前は、決して無縁ではないのである。

翌朝チラリと舞った粉雪が、春は近いと告げている。尾張平野にまた春が巡る。
2004.02.05 by Kon


by Kon   
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