新聞報道
国府宮裸祭 新聞報道
2003年 2月14日木曜日(旧暦1月14日)


  2月14日の中日朝刊を読んで、昨日境内で起こった事故 の全容を知った。昼休みに喫茶店で他紙も目を通した。
 中日新聞朝刊はトップと社会面に詳細に報じていた。 2人の重体事故発生位置を地図入りで紹介している。 他紙では、もみ合いで 2人も重体がでるような激しい祭り.....といつたニュアンス が伝わる。しかし、そうではなく二つの事故は 場所と時を違えたものである。一つは楼門前、もう一つは 難追殿前である。時間も30分程離れている。この二つの 場所は毎年負傷者がでる危険個所として知られていた。 今回の記事にはどれも、このほか36名の負傷者とつけくわわる。 30名を超える負傷者は毎年のこと。
  それはさておき、 一人の死人を出さない伝統を50年築いて きた経緯のなかで、 今回のような重体者2名というのは一体何 か原因があるのだろう か。冷静に検証してみたい と思った。

  第一の事故の楼門前については、 西の水汲み場付近のもみ合いで倒れこんだ人がすでに 発生していたような状況があった。一人の男が両手で ばつ印をしていたのを目撃している。僕はそれを 神男でないというサインと解釈した。多くの裸男も そうでなかっただろうか。神男が急に目の前に現れ 渦の中心へ行く気構えのないまま水汲場近くで 多くの男が倒れたのではないだろうか。そして、 手桶隊の往復するル−トが確立できなかった。従来なら このル−トを手桶衆が激しく往復する。渦が東に動いた 時、なおル−トはふさがり続けた、そして、参道南の 裸男がここに殺到した。東の渦は僕の死角でよくみえ なかったが、長く停滞していたように思う。宙に舞う 手桶の水は、柵にへばりつく僕まで届くはずなのだが、 それを覚悟でいたのだが、一回も水を被らなかった。 例え、西の水汲み場がふさがっても境内水汲み場から 楼門中央を通るル−トは例年確保されるはずだ。 どうだったのだろう。裸男として参加された皆様 にお聞きしたい気持ちだ。
  第二の事故について。 5時ちょうど頃だったと記憶している。まわりから、もう終った らしいという雰囲気になり。柵の最前列にじがみついていた 人が離れだした。 ぼくも帰ろうとした。機動隊の「負傷者を運びますから 通路を開けてください」との拡声器の声は再三耳に届いていた。 楼門脇の通路から神官の揺する榊が見えました。神男が難追殿 に収まるまで、神官は無事を祈願して打振るう。まだ終って ない。境内をのぞくと難追殿前に集団が。群集の頭越しに両手を上げて めくらでシャッタ−を切った。様子は柵最前列のご婦人 の声で想像するしかない。「飛びこんだ、飛びこんだ」。 人垣の間から、ちらりと白い腰布の伸びて行くのが見え た。「上がった、上がった」。「あ-、だめだ」。これが 3、4回続きました。4人目が飛び込んだとおもいます。 その瞬間は垣間見えました。神男が上がったのは5時20分と 記憶しています。
  これは想像なのだが、神男は失神していたのではないでしょうか。 それと、渦が大きすぎて水で割れない状況だったようだ。 中日新聞によると、神男が抜けた空間に裸男が吸いこまれる ように倒れ込んだとあります。重体になった小林さんは 不幸にもあお向けで倒れ込んだ。この難追殿前で触ろう という人はかなりのベテランです。どうしようもなかったの でしょうか。倒れこむ時はうつむきで身を固めるのが鉄則 です。腹を押され嘔吐してのどがつまる。時と場所を違え 偶然重なった重体事故の共通点はここにあります。 紙一重であお向けにならずにすんだ方は多かったのでは ないでしょうか。
  観衆として眺めていた僕の問いです。裸男のどなたかの体験 をお聞かせ願いたいのですが。



Kon'BBS ゆたかさんの書き込みより
 
 2003/02/17(月)
 はじめまして、一昨年から参加させていただいてます。
  西の水汲み場付近での倒れ込みの現場にいました。 その時には5,6人程裸男が倒れていました。うつぶせになって 固まっている人は居なっかたように記憶しております。このまま ではやばいなと思いとにかく必死でした。「さがれーさがれー」、 とにかく声を出しても突然出来た渦に向かって南の方からもどん どん裸男達が突っ込んできます。 「死んでまうぞー」という声も聞きました。 かなり長い間その状態が続いたように思いました。
  そうしている内にすでに神男は楼門の方へ入っていったような 情報が飛び交い流れがそちらに向かっていきました。

  灯籠前での倒れ込みは僕の友人が目撃しておりました。 その渦の中心に居たらしく、一人の男性の顔色がすでに紫色に 変色しており見るからに息をしていない様子だったそうです。

 確かにKonさんのおっしゃる通り、今年は水をかぶるのが非常に 少なかった。体もうまく滑らない、滑らないから動くのも大変でした。 そしてあの圧力ですからなおのこと倒れ込みやすくなったのではと考え ています。 遠くで桶の水がぱらぱらとしか蒔かれていなかったような 感じでした。
  重体のお二人には一刻も早く回復されることを心からお祈りしております。 そして来年もまた参加して、よいお祭りになるよう裸男の一人として願うばかりです。
  乱文ですがお許し下さい。        ゆたか  


Kon'BBS ながおかさんの書き込みより
 
 東京での報道 2003/02/17(月)
稲沢市出身で現在東京在住の「ながおか」です。

子供の頃から裸祭りはしっかり見ていて(残念ながら男でないので 見るだけ)、地元の小沢地区から大鏡餅が出たときには餅つきやパ レードに参加した体験があります。
Konさんのホームページを拝見して、実家の近くの風景や知人の名 前が登場するのに里心が湧き、感想と共に今年の裸祭で事故の東京 での報道についてメールを送らせていただいたところ、Konさんが こちらの掲示板に東京での報道の様子を書いて欲しいとのお話でし たので、ご報告させていただきます。
当日の夜から一般のニュース番組で放送されていたらしいのですが (首都圏在住の友人が何人かメールをくれました)、私はたまたま 裏番組を見ていて気付かず、翌朝の読売新聞朝刊で気付いて驚きま した。社会面の見開き右側のページ中央に写真入りで、幅14cm ×高さ11cmぐらいの大きさで出ました。見出しは「裸男転倒2 人重体・愛知はだか祭」というものです。写真は幅14cm×高さ 7cmで、怪我人が担架で運ばれるところが出ていました。
この他、翌日のフジテレビの「トクだね!」の「トクだねTimes」 で短く扱われ、翌々日土曜のワイドショーでも登場して、テリー伊 藤氏が「1300年ってすごいねー」とコメントしておられました。残 念な事故が起きたという感じの報道で、コメンテータやアナウンサ ーに批判的な態度はありませんでした。
東京では、その日に特に大きなニュースが重ならなければ、今まで もたびたび「季節の行事の話題、ユニークなお祭り」という扱いで ニュースに登場しています。今回は重体者が出たことで、よりきち んと扱われたという感じがします。
重体のお二人は本当にお気の毒です。お一人は回復に向かわれてい るとのことで安心しましたが、もうお一人も早く意識が戻られるよ う祈念いたします。
この掲示板を拝見して、皆さまの冷静かつ鋭い分析に感服しまし た。来年以降もお出になる方々、どうぞお怪我には十分にお気を付 けて、またあの凄まじい勇姿を拝見させてください。
今後も国府宮裸祭りとこのホームページのますますのご発展をお祈 りしております。

読売新聞の記事の全文を転記しておきます。

「十三日午後五時頃、愛知県稲沢市の国府宮神社で行われた伝統行 事「はだか祭」で、下帯姿で激しくもみ合う約九千人の裸男のうち 2人が転倒して踏みつけられ、意識不明の重体となった。このほか見 物客を含む三十八人が、重軽傷や急性アルコール中毒などで手当を 受けた。県警稲沢書の調べによると、祭りが最高潮に達した午後五 時ごろ、神社の儺追殿付近で、触ると厄が落ちるとされる神男に向 かって裸男たちが殺到した際に数人が転倒。重体の二人は、大勢に 押しつぶされ、窒息状態になったとみられる。」

以上です。




Kon'BBS ながいさんの書き込みより
 
 大阪から新聞を読んで 2003/02/16(日)

 珍しく大阪の新聞にも国府宮のはだか祭りの記事が掲載されました。 家内が先に気がついたのですが、意識不明者2名にはびっくりしました。 kon さんのおっしゃるとおり、大変激しい祭りにもかかわらず、50年もの長い間死者を出さずに続いている伝統あるお祭りなので残念でなりません。
 私は仕事で名古屋に駐在した3年間に、kon さんのお誘いを受けて1999年のはだか祭りを見て以来、4年連続この祭りを写真撮影して紹介していました。 今年は行けなくて残念に思っていましたが、このような事故が起こるとは夢にも思っていませんでした。
 kon さんのコメントにもあるように、このような激しいお祭りにもかかわらず、軽傷者はいつも多数出ていますが、死者を出していないのは、伝統の中で積み重ねた知恵があるように思います。 桟敷席からカメラを通して見ていましたが、神男に対しては鉄鉾会のメンバーががっちりガードしていますし、手桶隊の動きも祭りを盛り上げながら、はだか男たちをうまくコントロールしているように見受けました。
 今回は何かそのリズムが少し狂ったのではないかと感じます。 大阪・岸和田のだんじり祭りは何度も死者を出し、一時祭り自体が中止されました。 国府宮のはだか祭りは、この二の舞だけはしないでほしいと思います。
祭りの関係者のみなさん、鉄鉾会のみなさん、ぜひ万全の対策を立てて、来年も伝統あるお祭りをぜひ実行してくださるようお願い致します。
                              ながい


メ−ルにて問合わせに回答をいただきました。
掲載させていただきます。
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平成15年2月17日
kon 様
はだかまつりにおける入院患者の様態に関するお尋ねは、 マスコミなどからの問い合わせなども含め市民病院の 管理課で対応をしております。
2人の重体患者のうちの1人は、快方に向かわれてお りますが、もう1人は依然重体です。
なお、ご本人やご家族のプライバシーもありますこと
から詳細についてはお答えいたしておりませんので
ご了承ください。 
                   市民病院管理課長
                        中島敏雄
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国府宮裸祭り その後2003/02/23(日)
祭りから10日過ぎました。
祭りのあの騒ぎも10日もするとつい忘れ去られてしまいがちです。 でも怪我をされた小林さんはその後意識を回復されたか気がかりです。 小生と同じ宿から出られた方で、祭りでも至近距離のところで待機していました。 他人ごととも思えません。

その後の状況をご存知の方がいらっしゃいましたら教えて下さい。
                              Ken


Kenさんは、あの白山神社にお参りされて小林さんと
同じなおい笹をかついで参道を駆け抜けられたんですね。
Kenさん心中、お気持よくわかります。
再度Kenさんの文面を添付して問合せ中です。
回答頂きましたら掲載いたします。今しばらくお待ち下さい。
                              Kon


2月26日AM10:30
市民病院より下記回答を頂きました。
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一宮市在住のお方の容態は快方に向かっておりますが、
稲沢市在住のお方は依然重体です。

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Kenさん、一緒に病状快方を祈りましょう。





祭りの1ヶ月後  2003/03/15(土)
重体者のうちの一人、荒金さんの記事が 中日新聞に掲載された。
。。。若い男性は神社楼門の東で裸男の群集に 踏みつけられたとみられる。。。肋骨数本も 折れており、酸欠が原因で脳の一部がはれている。
こう報道された荒金さんは岡山県出身の瓦職人、40才。 30歳から裸男として参加、神男に触れたことも何度もある ベテラン。
一時は心停止状態に陥ったが、二日後、奇跡的に意識を回復。

事故については「仕方がない」と思っている。
小林さんのことは「それぞれの思いで参加しているので口を出す ことではありません」。そっとおもいやった。
 伝統ある祭りのやり方を変えることには「見直す必要はない」 ときっぱり。
以上、3月13日中日新聞31面より。


2003/05/12(月)
先ほどyahooニュースを見てびっくりしました。
はだか祭りで重体になっておられた小林さんが亡くなられたそうです。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
                              まみぃ


お父さんの帰ってこれない小林さんの
玄関先には、ずっとお父さんの似顔絵が
はってありました。”おとうさんおかえりなさい”
と書き添えて。皆がんばってと祈っておりました。

あれからちょうど3ヶ月。悲しいお知らせとなりました。
ご冥福をお祈りします。   合掌
                              Kon


同じ宿から祭りに参加したしたと云う事もあり当初から大層心配しておりました。 長い闘病のあげくこんな結果に成るとは。
ご本人を初め残されたご家族ご親族の事を思うと胸が締め付けられるように心が痛みます。

心からご冥福をお祈りする次第です。   合掌
                              Ken



by Kon