儺追殿
国府宮裸祭 儺追殿
2003年 2月13日木曜日(旧暦1月13日)




PM05:00儺追殿前。

 僕が楼門前、参道東の柵最前列を離れたのは 5時前後だと記憶している。楼門脇の通路越しに 神官の揺する榊が見えた。神男がまだ上がってない。
 手水舎当たりの群集越しに難追殿 を眺めてみた。ここからは灯篭の補強柵でとば口が 見通せない。手水舎を迂回し難追殿正面南当たりに移動しまた。 5時10分ごろだった。


PM05:10儺追殿前。

 引き上げ人が2人飛込み、さらに1人飛込んだようだ。 人垣で前方は見れない。時折群集の間が開ける。その合間から推察する。 「上がった上がった」という 観衆の声と、バンザイという裸男の声で、やっと 上がったとおもい時計を確認して5時20分だと 記憶している。

 人が引けて前が開けた。 滝のような水が庇のパイプから落ちている。難追殿から一般観衆を遮る柵の間まで、裸男で埋まって いた。例年は半分くらい。この広場の地面 には空きがあるのだが。広場を埋め尽くした裸男は とば口前のもみ合いを20分続けたことになる。
  楼門前で渦ができたのが4時50分頃。引き上げ が5時20分。例年になく早いテンポだったようだ。

PM05:30祭りの後の夕日の中で。


Kon'BBS Kenさんの書き込みより
 
 今年の祭りも参加しました。 今年は前3回の参加経験から、神男を待つ場所を難追殿前と決めました。 笹納めをかなり早い時間に終え、同じ宿の方々とにじり口へ直行。 そこで歓談をしながら神男を待ちました。
  今年は暖かく難追殿前では寒さを覚えませんでした。 「ここなら必ず触れる」と聞き、その人についてとば口の 真ん前に移動し、 とば口を背に待機。 そのうち、とば口へ昇る木製の階段が外され、上の水道管に 通水が始まり水が頭へ懸かり出しました。 冷たい水を受けても耐えながら待ちます。
  上の放水口から一斉放水が始まりました。 時計が無いので何時なのか全く判りませんが何となく 「今年は早いのかな」と感じているうち広場の方から物凄い圧力で押してきました。 小生は身長が少いので前の人の影で広場の状況は全く判りませんが、神男が接近しているらしいことを 状況から察せられます。 と 難追殿で状況を窺っていた神守りの方が褌に晒しを括り付け飛び込んで行きます。 その頃になると押し寄せる力で身体が潰れそうです。 後ろにいる人の悲鳴も聞こえます。 全く身動き出来ず潰されないよう耐えるだけの時が流れます。
  4度5度と神守りが飛び込みます。 「あげろ」「あげろ」のコールが聞こえ出し、神男の上がりの近い事が察知できます。 「もう一寸だ。何とか頑張ろう」と必死です。 と 神男が見えたと思ったらすーと頭の上を通り過ぎました。 必死で手を伸ばし神男にタッチ、「やった」と思う頃には もう直前までの殺人的な圧力は引いていました。
  あまりの凄さに早々に引き上げようとその場所を離れ帰途に就きました。 楼門を出て参道を歩いていて道に水が無いのに驚きました。 例年参道は手桶隊の掛けた水でぬかるんでいたのに、今年は水が少なかったのかなと 思いつつ夕刻の迫る寒さの中を宿へ急ぎました。
  今年は難追殿前を離れなかったので神社内のまつりの様子を知りませんでした。 帰宅して家人から重体者が2人も出たそうだと聞き吃驚し 一つ間違えればわが身にもと、改めて祭りの怖さを思い知りました。 不幸にも負傷された方々の早いご回復を切に祈らずにはいられない気持ちで一杯です。  
                                  Ken


by Kon