2002年2月24日
愛知県稲沢市 尾張大国霊神社 儺追神事
まつきち奮戦記
written by まつきち
午後4時20分すぎ、konさんの事務所を出た。
今年は笹竹宿からの出が遅く、2時をとうにまわっていたため、もうこの時刻では神男は出ているものとばかりに歩を急がせた。
午後4時すぎに笹竹を拝殿に納めたのち、足早にkenさん等仲間5名でkonさん事務所をめざす途中、秋田のAさんに声をかけられた。
とにかく2台の使い捨てカメラを預けるためには、この雑踏をかきわけても事務所へたどりつかなければならない。
今の時刻が判らないので、そして行列の最後尾にある小池正明寺の手桶隊はまだなので、今のうちにと足早に事務所をめざしていた。
カメラを預け、清めの酒を頂き、名鉄国府宮駅近くのkonさんの事務所をあとにした。
今年の神男は逃したかもしれない、そんな不安がよぎりながらも第二鳥居からはるか楼門につづく参道を小走りに戻りつくと、二十五丁橋を渡ってすぐ、まさに手桶隊が水汲み場からシャトル運行を繰り返している真っ最中であった。
もう遅すぎたかと思うや、神守りの永田さんと岩田さんともう一人(・・名前は知らない)。
「永田さん、神男出たぁ?」
「いや、まだ・・・」と名前を知らない神守りにいやな顔をされた。
そうだ、話し掛けてはいけないのだ。(あとで儺追殿で永田さんにこのときの声掛けを詫びてわかったことなのだが、このときこそ気を張り詰めている一瞬だったから、あまり声を掛けてほしくなかったそうだ。)
じっと固唾を飲んで、水汲み場から参道の見物人と裸男を仕切るベニヤ板の塀際付近を見渡せば、突然あちこちで、「出たぞ」「いたぞ」「神男だぁー」・・・
未だ神男がどのようにして楼門前の参道に飛び出してくるのかは謎であり、その一瞬を目撃することもできないままではあるが、毎回、この一瞬がとてもスリリングでかつエキサイティングである。
いきなり全裸ではないことはわかっているのだが、四方を白いまわし姿の神守りに囲まれて、その中心にいる、まさに心男たる神なる者がいる。
すぐに外せる褌(たぶん越中褌?)をつけて、群衆に飛び出すらしいが、そのワンタッチリムーブドオールヌードリングを未だかつて見たことはない。
一斉に発声する方向に裸男たちの耳目が集まる。ウォーウォー。地響きともつかぬ轟音がこだまする。もし、神男に触れたいのならば、一心不乱に渦の中心をめざすべし、ひるんではならない、たじろいではならない、どんなことがあっても近づくんだ、触るんだという執念と容赦なく浴びせかかる清い水という名の鉄砲水をかいくぐってこそ聖域にたどりつくことができる。
去年の神男である沼田氏は頭だけ触った。(といっても儺追神事前日に訪れた儺追殿内のお篭り部屋では久留宮さんしか拝めなかったので本人かどうかは不確か。)一昨年の神男である山田氏は渦がいくつも分散して触れなかった。さきおととしは完全に我がふところに抱いた村松さんだった。というか神守りの隊長と同じ姿勢で村松さんをスープレックス状態で抱え込んだ。
それが神男に触れた最初で最後かとも思っていた。そのときはターボさんが付き添ってくれていた。今年もそのイメージトレージングをもって臨んだ。
気持ちは渦の中心にいるはずなのだが、なかなか神が見当たらない。神は深く潜っている。裸男たちの足元でうずくまっているはずだ。前後左右を囲む神守りにガードされて。
どこだ、どこだ、見上げれば塀の上、木立の陰から渦の中心を覗き込んでは指さすナビ男を頼りにたえず方向修正をする。
ターボさんが戻ってきた。・・・神に触ったと・・・手には防水カバーをつけたデジカメ・・・なんと勇敢・・・この渦の中でデジカメ片手に神を触るとは。
東京のノブがいる。あっ、茨城のYだ。見覚えのあるお祭り野郎がフラッシュライトのように脳裏をかすめる。
大向こうで渦が大きく割れた。中心がぽっかり空いて地面まで見通せた。あっ、神がいる。真っ裸の乳白色の尻ったぶはまるでブーフーウーか。浴びせ掛かる水がお湯のように蒸気となり、神の肌はテカテカに輝いている。大海原でイルカが海面で遊ぶがごとく、ヌルっと出てきてまた雑踏の中へと姿を消した。まるで海底へ戻っていくように。
あれだ。一目散に標的を追いかける。グリグリ、ギリギリ、腕をしっかり、脇を固めて前に少しでも空間ができると体をねじ込んでいく。決して後ずさりしてはならない。後ずさりすればさるっ太さんのハレー彗星状態となり、もう永久に渦の中心へは戻ってこれなくなる。
坂本龍馬のように前のめりに死ぬ思いで、ただ前進あるのみ。隙間を空けるとスパっと足が入る、腕が入る、平手が飛んでくる。鉄砲水は勢いを増すばかり、冷たい、痛い、辛い。
絶対にあせってはならない。今年のように渦が一つで大きければじっと耐えれば弾かれない限りいつかは渦の心に押し出されるはず。しかも楼門に入るまで頑張ること。
楼門で渦が割れるから入りやすいという説もあるが、そこは極めて危険だ。また、触れる確率は極めて低い。
さらに人には儺追殿入口で神男が引き揚げられるところが最も触りやすいというが、最初からその位置で待たない限りは触れない。(そこは、神守り二次隊のガードがきつくなるところだから)
楼門が間近に迫っている。ヤバイぞ、今年は触れないかもしれない。その瞬間、また渦が割れた。中心が空いた。あっ、いた、神男の顔が見えた。今年は前日に儺追殿のお篭り部屋で握手をしてもらっているので顔を見間違えることはない。これも村松さんのお陰だ。まわりには影と呼ばれる神男ダミーがいるとも噂されるが、そんな奇特な人物はいない。
要はスキンヘッドの裸男を神と見紛うのである。神はツルツル頭とは限らない。多くの場合、丸刈りではあるが、うっすら髪型がみてとれる。だから、神男を区別するには股間を確認しなければ完全ではない。それが神の受難なのかもしれない。
しかし、神のそれはとてもなま暖かくて、小さく縮こまり、マシュマロのようにフワフワしているので、ひとたび間違えて硬く聳え立つ不思議棒とは思えないほどの乳児のそれに等しく、それはたぶん母体内の胎児にたとえるが相当と思える。
だからつまみあげてひっぱってはならない、おさえつけてつぶしてはならない、そっと包み込んで金隠しのようにカバーしてやるのがエチケットではないかとまつきちは信じている。
神の顔が見えたとき、まさに自分は渦の中心にいた。まぎれもない今年の神男である大坪さんだ。すかさず頭を触り、それまで脇を締めて縮こめていた体をパッと開き、神男の腰を両手で挟みつけ、ラクビーのタックルでしがみついた。
すぐに神男の股に手を入れ、下腹部に右手をねじこむと、とても暖かい突起物が手のひらにあたった。指の腹を立て、軽く包み込むようにサポーターのカップのようにしてやる。神男を完全に捕らえたのは3年ぶりだ。大恩人の村松氏以来だ。しかし、村松さんのときはスープレックス、今年はバックアタックル。神が自分の晒しを引っ張る。晒しはきつく縛ってもらっていたので解けることはなかったが、1枚の布でしか覆っていない下腹部は神が執拗に引っ張り、渦の動きとともに前後左右に揺れ動くものだから、もう我が金も棒も露出して・・・もうこれでは自分は神ではないか・・・冗談じゃない・・・自分の頭は丸坊主でないから、チンを触られることはないにせよ、褌を取られてはかなわない。神は戻れる儺追殿があっても自分の戻るところはここから3kmも離れた久留宮さんの自宅なのだから。
やめてくれ、引っ張るのは、これ以上。痛い、つぶれる、金玉が・・・やめてくれ。頼むから。でも神は離そうとしない。きっと自分を神守りと間違っている。だから、神守りは硬い締め込みというまわしに腰を固めていることが今更ながらわかった。今年の神守りはどこへ行っちまったのか。どこにもいないぞ、神が飛車、角、と金もなく完全無防備の一円玉の旅がらすではないか。もうこれ以上崩しようがない、まったく、なんてこった。
神を触りにいくのはよいが、今はいかに神から離れるかが自分には課されている。このままでは自分の命が危ない。自分の急所は容赦なく神にもてあそばれている。
次の瞬間、突然、神は離れていった。(あとで儺追殿で出会った永田さんの話しではこのとき神は楼門を潜ったそうだ。永田さんは神とまつきちが一緒に楼門を潜ったように見えたそうであるが、実はそうではなかった。楼門を潜る前に神とまつきちは別れたのである。神守りの永田さんは自分の名前を何度も呼んだそうだが、まったく聞こえなかった。褌を神に引っ張られて、それを離させるに懸命で、無防備の急所に意識はもうろうとしていたので自分を呼ぶ声など聞こえる訳がない。永田さんは自分のことをすごい男だと言ってくれた。でも違う。神と一緒に楼門を潜ったにはたぶん神守りの永田さん自身ではなかったのか。)
永田さんは平成4年の神男だ。ターボさんから頂いた当時のズームイン朝の録画ビデオでは永田さんは神男になる前は何度も裸男で参加して神をバックから抱きつく離れ技を何度も経験していた。だから神守りとしてもその経験が生きているのかもしれない。
自分が村松さんを触ったときは現地の中京テレビのニュースカメラが村松さんを触る瞬間を捉え、見事証明してくれたものだ。そして今回は永田さんがそれを証明してくれた。
自分をすごい男だと言ってくれた。儺追神事がすっかり終わり、儺追殿のお篭り部屋へ神男を見舞いに行ったときに居合わせた永田さんに誉められた。永田さんの眼には神と一緒にまつきちが楼門を潜ったに見えたが、そうではない。その前に神から離れ、まつきちは群衆の中で足を取られて倒れこみ、神男の姿勢が裸男たちの足元近くの低いかがんだものだったからその目線に引きずりこまれた自分も裸男たちの足元近くに横たわり、上から上から圧し掛けられて・・・危ない、横向きに倒れ込んだから懸命にうつ伏せになろうと腰を下方へねじった。
なにせ、仰向けになれば内蔵破裂が待っている。これも西大寺会陽の教訓である。とにかく、倒れてもうつ伏せになってじっと我慢すればいつかは解き放たれる時期がくるはずだ。へたに動けば骨折や内蔵破裂にあうだけだ。去年も一昨年もこの受難と出遭っているがすべて難を免れた自信がある。
ひたすら助けてくれを連発するも、それは一種の念仏に等しい。むしろお経を唱えた方がましである。じっと耐えるだけである。
このとき右尻が完全に地面についたのだろう。痛みはそのとき感じなかったが、あとで擦り傷があざになっていた。2週間後の今なお癒えず、ターボさんから国府宮神社の境内には悪い虫が棲みついていると脅かされている。
もうとっくに神男は自分の目前から遠のき、ただ楼門前で積まれた裸男たちの下で身動きすらできずに我慢をし、やがて解き放たれるのを待っていた。互いに抱き起こし、起こされるまでの時間は長かった。
この間、伏魔殿のことが気になった。まったくのフィクションだが、選ばれし神人(しんのびと)地元スーパーマーケット、タガノヤグループ代表取締役多賀隼人が儺追殿の神主、巫女と結託して、天涯孤独のタバコ屋榎木康之を神人の身代わり、いわば影武者に仕立て上げ、死に追いやろうとする企て、サスペンスこそ、今頃いつも流れる神男死亡説と神男ダミー(影武者)説が横行してやまない地元の無責任な噂を象徴的に表現する。著者の松岡圭祐は只者ではない。そして、今様、田中真紀子の「外務省は伏魔殿」発言と呼応してなかなか趣きがある。
抱き起こされる前に自分で立つことができた。起き上がるともう主役は楼門の中。しかし、神は今なお儺追殿には到達していない。
精も根もつきたので、あとはただ、儺追殿へ引き揚がる神男を見物せんと楼門を潜り、心持ち小さくなった渦をできるだけ遠巻きにしながら、壁際で体の重心を低くして、大股開きに踏ん張りながら、儺追殿前庭を潜望し、見守った。いつのまにやら渦の心は神守りががっちり固めていた。
儺追殿の庇から勢いよく水が噴射された。さらに白いまわし姿の、腰には太く白い命綱がいわかれた引き揚げ隊が飛び出していった。
120kgの巨漢(うそっ、日置さんだぁ・・・)その後を追いかけるように尾関さん、儺追殿入口付近で待ち受ける裸男たちの頭越しに渦の中心めがけて突進する。二人の小男がわにざめの背をわたる脱兎のごとくダイビングする。盛んに裸男を平手で打ち払っている。
なんだ、二人合わせて体重120kgの男だったのか・・・日置さん一流のジョークに翻弄された。昨日の儺追殿で今年の引き揚げ隊長は120kgの大男、自身の体重を支えるだけでも大変。とても神を引き揚げることなどできる訳がない、てな日置節が先行していたものだから・・・
なんと神男自身が重いのだ。二人では持ち上がらず、もう一人も儺追殿口から飛び出して、三人がかりで引っ張り揚げる。
なかなか揚がらない。ワッセワッセワッセ・・・見えた、乳白色の全身毛のないヌルっとした肉の塊り、ちょっとピンクに染まったでっかいでっかい双丘が、裸男たちの黒々とした髪の隙間から完全に露出した。
頭の先からはじまって、広い背中、ぶっとい胴体、大きな尻たぶ、そして丸太のような二本の足とスローテンポに順々に押し出され、裸男たちのいくつもの手で高々と押し揚げられる。
確か、去年の沼田さんは裏返っていたな。仰向けで失神してたよな。今年は元気だ。神は宙を舞い、足をばたつかせている。
差し上げる裸男たちの手、手、手・・・(じゃない、このときとばかりに触りまくっているのだ。)ワーワーワー・・・歓声があがる。ドドドドド・・・トドのような神は頑強な桃色肌を群衆の前にあられもなくさらし、裸男たちの頭上高く三人の引き揚げ隊に両手を引っ張られ、2−3度しゃくられて儺追殿口へ吸い込まれていった。すかさず裸男たちが万歳、万歳、万歳、そして拍手、また拍手、アンコオル、アンコオル、アンコオルの声。それに応えて神男が再び両脇を白装束の神守りの肩に支えられて儺追殿口に登場し、一礼をする。そして、お篭り部屋へと消えていった。
儺追神事は今年も無事終了した。事故もなく勇壮に執り行われた。
(国府宮体験記 完)