祭りが終われば春の香


はだか祭りの翌朝、僕は友人を名古屋空港に送った。

この日の未明、夜儺追神事が行われ,

夜明けからは、大鏡餅切りが行われているはずだ。

今年は気温が高かった。裸男も多かった。

神男には大変な年だった。

神男の安否が気になってはいたが

裸男で参加した疲れで

儺追は見に行けなかった。




はだか祭りの5日後、

宮の仮殿に降臨した神々は地上を離れる。

この日の神事を「おまとう」と呼ぶ。

旧暦1月17日の的射神事である。

これに続く儺追茶会で儺追神事の全日程を終了する。

標柱(しめばしら)が納められる。




季節の花と同じように

祭りも待ったなしである。

はだか祭り当日

市内の学校や、主立った会社は休日となる。

大鏡餅の祭囃子が町に流れ

大鏡餅切りで終わる3日間は

祭り一色となる。

僕もこの時は

祭り優先の日々となる。



参道の標柱も消えた2月21日

祭りで滞った仕事を片付け一段落。

国府宮に出向いた。

陰干ししておいた男達の足袋6足を

宮の古御札入れに納めに行った。

毎年、客人の残していった足袋は

ゴム底を取り外し、庭で焼却して差し上げる。

今年は、僕の分も含めて6足である。

祭りの日には、境内に大きな古御札入れが出来る。

そこに納めさせてもらおうと思った。

生憎、取り片付けられていた。

宮のお庭番がリヤカ−で古い御札や絵馬を集めていた。

そのリヤカ−に僕は足袋を納めさせて頂いた。

その時、気になっていた神男の安否を尋ねた。

ご無事です。お元気です。

拝殿の壁には、去年の春日奉賛会の横に

小沢奉賛会の額が掲げられている。

僕が首に巻いていた友人の60の祝いの布を

古木の下に結わえた。

これで僕の祭りの全日程が終了したことになる。




祭りが終われば春の香。


名鉄国府宮駅のロ−タリ−の西に

ミスタ−ド−ナツがある。

その横に西に真っ直ぐ延びる小道がある。

ここを辿れば稲葉宿に行く。

ここは、かって三宅川跡のなごり。

稲葉川を歩道に改修したもの。

この当たりは全部田畑だったが

5年程ですっかりビルや駐車場となった。

ひとつだけ、

その名残がある。

プリンセスコ−トホテル横の梅林。

まだ少し早いが

春はそこまで来ているのだろう。



2001.2.21
by Kon