裸祭体験記
2001年2月5日
Written by さるっ太


「バカヤロー!!どけどけっ!!」

 手桶隊が怒鳴る声を背後に聞きながら、 私は神男に群がる大集団の中で、人間同士のしめつけの中にいた。 手桶隊の通る道を防ぐ裸男たちに浴びせていたと思われる怒鳴り声。 もっとも、私に浴びせられていたのは手桶隊の怒鳴り声ではなく、 次から次へと絶えずたたきつけられる冷たい水なのであった。 今年行われた「私の」国府宮裸祭り。 初めて参加させていただいたのだが、私にとってはとても印象深いものとなった。



国府宮へ

 「国府宮駅」行きの名鉄電車の中は、この裸祭りの観客らしき人でいっぱいだった。 私は入り口付近のドアーの前に立ち、外の景色が眺められるような体勢で押しつけら れていた。 今日は、東京の電車ラッシュも顔負けの状態なのではないか。 目の前のドアーから見える光景は、見慣れた都会の町並みから、 のどかな田舎の風景に流れるように変わりつつあった。 私の背後では、おばちゃんたちのにぎやかな話し声が絶えることなく聞こえている。 (こんなに混雑している状況下ても、楽しそうにお話できるなんて・・・ おそるべし!笑) そんなことを考えながら、私は周りに気を配りながら電車に揺られていたのだった。
 この車両に乗車している国府宮裸祭りの観客らしき人たち・・・ いや、明らかに観客だと言い切ることができた。 私の周りは、中年からお年寄りの年齢層の方たちが多くいたのだが、 電車の中は、既にこの裸祭りの話でもちきりだった。 他の車両に乗車している大部分の人たちも、おそらく国府宮裸祭りを見に行くのだろ う。
 また、酒の一升瓶を片手にしている男性もいる。 正確には酒の一升瓶を荷台の上に乗せていたのだが、 顔や服装から判断して、年は30代後半から40代前半くらいであろうか。 (この人は参加者だな・・・) 明らかに分かる。 何故なら、裸男として参加する私も同じ一升瓶を片手に持っていたからだった。 こんなことを考えているうちに国府宮駅に到着。 案の定、私の車両に乗車していたほとんどの人たちは、一気に国府宮駅で下車した。 この電車に乗っている大部分の人たちと言った方がいいのかもしれない。 私は後ろから押し出されるように、国府宮駅に降り立った。
 降車したと同時に、人の波は一気に臨時の出口に向かった。 集団心理ってヤツなのであろうか。 私は本当は臨時の出口とは逆の方向にある出口に行きたかったのだが、 人の波にのまれてしまい、臨時の出口で切符を手渡すこととなった。 それほど、この日、国府宮は人でにぎわうのである。
 国府宮駅を出ると私はまず、呉服屋に向かった。 下帯、足袋、鉢巻きを購入するためである。 ゆっくり10分くらい歩いただろうか・・・目的の呉服屋に到着。 さっそく店に並べてある国府宮裸祭りの参加者・衣装スタイルというべき一式を購 入。 呉服屋のおかみさんはとても親切で、昨年の祭りの様子、 参加するときの注意点などのアドバイスをくださった。 「怪我のないようにね!」 温かい言葉を背に、私はこの呉服屋を後にした。
 祭り当日、天気は晴天。 青々とした空、まぶしいくらいの日差し、そして、祭り一色に染まる国府宮の町。 午前中に国府宮に降り立ったのだが、2月初旬にしては気温も温かく、 私にとって、祭りにはもってこいの天気だと思った。 昨年は大雪でとても寒かったと聞く。 今年はラッキーだな、とひそかに心の中で手をたたいていた私。 祭りの雰囲気を肌でひしひしと感じながら、Konさんのところに向かったのであ る。



つかの間の休息

 「まるで台風のようなんだよ・・・」 Konさんが、神男に群がる裸男たちの様子を身振り手振りで説明していたのに、 私は聞き入っていた。 「自分の意志では動けなくて、身をまかせるままにするしかない・・・」 さすがに経験者のいうことは現実的で迫力がある。 ここはKonさんの自宅。 祭り前の団らんの席である。 突然訪ねていった私を、Konさんを始め、Konさんのお父上様、 奥様が笑顔で迎えてくださった。 さっそく持ってきた酒を私は渡したのだが、これとは釣り合わないほどのもてなしを してくださり、 しかも私は今年、Konさんの家から幸いにも参加させていただいたのである。 先ほど、KonさんとKonさんの友人であるNさんと3人で、 参加させていただく町内の公民館(お宿)へと挨拶に行ってきたところだ。 Konさんが代表して、酒の一升瓶をお宿におさめてくださった。 この国府宮裸祭りでは、参加するにあたって、お宿に酒を持って挨拶にいく風習らし い。 今年裸男となるのは、Konさんと私の2人。 Konさんは10年ぶりの参加らしい。 そして、私は初参加。 Nさんはカメラマンとしてこの祭りに参加されるとのこと。 集合時間まで、この祭についての話題がつきなかったのはいうまでもない。
 さて、先ほど挨拶に行ってきたお宿(公民館)に集合する時間は午後の2時。 午後1時を少し過ぎたころになると、私たちの間でも準備モードとなり、 重い腰を上げる。 私とKonさんは下帯の準備にとりかかった。
 一反・・・10m以上もある下帯をきつめに締めてもらい、鉢巻きをする。 私は儺追布と呼ばれるものを、鉢巻きにした。色は紫。 呉服店のおかみさんがすすめてくださった色だ。 国府宮裸祭りでは、裸男たちが目指す尾張大国霊神社へのそれぞれの道のりで、 会う人たちに、この儺追布を引き裂いて渡していくらしい。 無論、すべての人にではなく、求められたとき、また自分から渡すときもある。
 午後2時。 先ほど、お酒を持って挨拶に行った公民館にいくと、 その町内の笹竹と呼ばれる竹を尾張大国霊神社まで運ぶ裸男たちが集まっていた。 この笹竹には、赤、黄、青などのカラフルな色の布がたくさん結びつけられており、 厄払いをこめた文字がそれぞれ願いを込めて書かれている。 厄払いの祭り(神事)として全国的に有名な国府宮裸祭り。 それぞれの厄払いをこの布に託し、笹竹に結ぶ。 そして、この笹竹を裸男たちが尾張大国霊神社まで練り合いながら運ぶ。 今年の国府宮裸祭りの一番の盛り上がりといわれるイベントが始まったのである。


尾張大国霊神社へ

 お宿(公民館)を出発すると、まずは町内の氏神様 のところへ向かう。 そこで祭りの安全などを祈願し、 それから、尾張大国霊神社を目指すのだ。 この道のりがすごく楽しく、様々な人に接することができた。 観客に声をかけ、儺追布をちぎって渡す裸男、その観客に酒を振舞う裸男、 裸男と一緒に写真撮影をする老若男女の観客、そして、それを見てほほえむ観客な ど、 この日にしかない光景が私の目の前で繰り広げられ、いつの間にか私も顔がほころ ぶ。 また、練り合いをしながら尾張大国霊神社を目指す途中の道のりでも、 厄払いを願う様々な色の布が、次から次へと笹竹に結び、付け加えられていく。 笹竹は、どんどん太く成長してくかのように見えた。 私たち裸男たちは、まず、この笹竹に結び付けられた厄払いの布を、 尾張大国霊神社におさめることが大切な役割となっていることに、参加して分かった ことだ。 「しっかりと運んでいってあげろよ〜」 とある裸男が言った言葉が印象に残っている。 途中で結びがほどけてしまったときは、再び結び直す。 1枚でも途中で落とすことは許されない。 私たちは、この厄払いの布に託した人たちの「想い」を運んでいるのだな、と思っ た。
 「今年はすごく暖かいよ〜」、と一緒に笹竹を運ぶ裸男のみなさんはおっ しゃっていたが、 お宿(公民館)を出発した最初の頃、私は少々肌寒さを感じていた。 下帯姿なので、もちろん当たり前なのだが、季節は冬、2月初旬なのだ。 カメラマンとして活躍されていたKonさんの友人のNさんは、 動き回って写真を撮影されていたため、額に汗をにじませていた場面もあったのだ が、 今年は本当に気候に恵まれたらしい。
 西に沈みかけた太陽の光を背に、私は練り合いに参加した。 練り合いは「わっしょい!わっしょい!」と声をかけ、 笹竹を持ちながら、道をジグザクにゆっくりと進むため、無意識のうちにかなりの運 動量になる。 途中、仲間の裸男たちに酒を振舞われたりと、 最初の頃に感じていた肌寒さはいつの間になくなっていた。 私も道行く人に儺追布をちぎって渡したり、 別の集団で笹竹を運ぶ裸男の人と儺追布をちぎって交換したり、 一緒に写真を撮ったりなど、楽しい時間を過ごさせてもらった。 現代は人間関係が希薄になったと言われる。時代の流れであろう。 私も都会生活をしたことがあり、また日常生活でもふとそういうことを感じることが ある。 時の流れで、文化や風習などは変化したり、姿を消したりするものも出てくる。 それには様々な要素があり、一概に善し悪しはつけられないのではないか。 時代の流れで、私たちはたくさんの利益を得ていることもあるのだから。 しかし、昔から伝わる良い伝統や風習、しきたりは守っていくべきだと私は考える。
 普段は会話を交わすこともない見ず知らずの人たちが、この日ばかりは1つの祭りを 通じて、 お互いに気兼ねすることもなく、笑顔で接し合えるのはどうしてなのだろうか? 祭りという同じ価値観を味わっているのであろうか? それとも、昔からある祭り独特の雰囲気からであろうか? 昔からいわれる裸の付き合いなのか?ふと私はこんな哲学的なことを考えたことも あった。 しかし、練り合いの中で、次から次へと進められる酒。 私の身体にも適度な量のお酒が入ったのだろう。 酒が口から首へとこぼれて飲んでも気にならなくなったときは、 既に尾張大国霊神社のすぐ近くまで来ていた。 酔ったのだろうか?心はいやにハッピーであった。
 踏み切りの手前で、少し足踏み状態になった。 この踏み切りを越えると、尾張大国霊神社までは目と鼻の先だ。 この辺の手前あたりから出店がたち並び、観客も格段に増え、とてもにぎやかにな る。 私が考えていた以上に観客が多いので、少し驚いてしまった。 後で分かったことなのだが、今年の観客は10万人を越していたらしい。 と同時に、国府宮の町をあげての祭りなんだな、ということを改めて実感する。 1000年以上も絶えずに、現代まで継承されてきた歴史ある祭りというべき神事の 偉大さが 身体全体に伝わってくるようだった。
 足踏み状態のとき、その場で掛け声をかけたり、練り合いをしたり、 笹竹をたてて、それによじ登ったりなどのパフォーマンスも見受けられるので、 私たちもそれに負けじと、同じく掛け声や練り合いをその場でしてみたりする。 ちょうどこの地点に来たときは、陽もかなり傾いており、 しかもちょうど建物の影になっているところなので、動いてないと寒いのである。 裸男として、尾張大国霊神社の鳥居をくぐるのもあとすぐの地点まできている。 私の胸の鼓動はひそかに高く脈を打ち出し始めていた。


神男登場

 尾張大国霊神社の鳥居をくぐり、長い参道を参道を抜け、桜門を通過。 笹竹を本殿におさめるまでの道のりはなかなか長く、そして楽しかった。 そして、笹竹をおさめてから、 私たちの後に続く笹竹を本殿へ運ぶ他の団体の姿を参道で見守りながら待機し、 この祭りのメインである神男が、まだかまだかと待ち構えている1万人を越す裸男の 中に 投入されるのを待っていたのだった。
 笹竹をおさめる団体の列も終わりかな?と思ったころ、 手桶を片手に高々と上げながら、掛け声をかけながら参道を駆け抜けていく集団が あった。 手桶隊の登場である。 話には聞いていたのだが、実際手桶隊を目にしたのは今回が初めてだった。 手桶隊の登場は、実際そうなのかもしれないが、 裸男たちが笹竹をすべて本殿におさめたことや、そろそろ神男が登場するぞ! ということを合図しているかのように私には思えた。 手桶隊は、神男を儺追殿へ導く重要な役割を担っているの だ。 体格の良い者たちが多い。 下帯も私たちのような綿のものではなく、相撲で使用するまわしでがっちりと締めて いるのだ。
 私たちの前を通り過ぎていき、あら?どこへ行ったんかな?と思っていたところ、 いきなりこちらの方に走って戻ってきて、自分たちが持ってきた桶で、 辺り一面に水を次から次へとたたきつけるように水をかけ始めた。 手桶隊、攻撃開始である。 水をかけられた裸男たちのワー!!などという声が参道に響き渡る。 いくら今年は天候に恵まれたといっても、今は真冬の時期。 しかも、陽が沈み、薄暗くなり始めた時間でもあり、じっと待機していたこと もあって、 身体が冷えている裸男も多かったのだろう。私もその一人であった。 私は参道の両サイドに植えられている木の後ろに身を隠し、手桶隊の水を一時防ぐこ とにした。
 絶えることなくまかれる手桶隊の水。 私の記憶では、まもなく、参道でワー、ワー!!という声とともに、 裸男たちの集団ができ始めたと思っている。
(神男がもう参道に投入されたん?)(まだなんか?)
揺れる心で緊張していた。
今考えると、どうしてまだなのかな?と思ったのか分からないのだが、 そんな雰囲気があったのだろうか?それとも誰かが言ったのだろうか?
 このとても短い間に、 「神男既に登場論」と「否定論」が噂や素振りで裸男たちの間で一瞬に波紋のように 広がる。 あの集団の中には神男がいないらしい・・・という結論が私の中で出されたとき、 次から次へと集団へ群がる裸男を見て、私の結論は一瞬にして打ち砕かれた。
何と!もう神男はその集団の中にいるらしいのだ。 今でもこのとき、神男がその集団の中にいたかは不明である。 (えぇ!?) 私は半信半疑だったが、どうやらいるらしいのだ。 行かなくては・・・私はその集団の中へ走っていった。


参道での攻防

 神男を触ろうと群がった裸男たちの密集した中で、 (うー!こりゃぁ、ここでは駄目かな?) と私が思ったのは神男が表れてからすぐにつっこんでいったときのことだった。 といっても自分の意志で動ける状態ではなく、後ろからも裸男たちが押し寄せてお り、 また、手桶隊の絶え間ない水がこの渦の集団にたたきつけられているのだった。 参加する前に、Konさんからいろいろお話を聞かせていただいていたが、 お話通り・・・いやそれ以上だった。
 私はひとまずこの渦の集団の中から脱出して、次の機会を狙おうと考えた。 体勢たて直し・・・と考えた訳である。 (神男はどこにおるんかな?)というのが正直な感想で、 見えるのは前の裸男の背中ばかり。 ぐー!と全身押し付けられている感じで、サンドイッチの中身状態であった。 この裸男の集団は台風のようだ、とKonさんがおっしゃっていたが、まさにその通 り。 やっとのことで抜けだし、私は参道の両サイドに立てられている片側の塀の上によじ 登った。 足袋の中には濡れた参道の砂が入り、すごく気持ちが悪かったのを今でも忘れられな い。 参道で待機しているとき、 足袋の足首にあたる部分をテープやひもで密着させている人をよく見かけたが、 その人たちの意図がこのとき初めて理解したのであった。 (こういうことだったのか・・・)と。
 会場では「塀の上に上がらないでください!」というアナウンスが絶え間なく流れて いたが、 悪い気持ちを押さえて私は塀によじ登った。 (分かっているけど、ちょっとだけ確認させてくれい!) 塀に上がると、当然のことながら、ぐっと視界が広がる。 私は参道を見渡した。 まずは、参道を右左と蛇行している台風のような人間の渦。 おそらくその中心に神男がいるんだなと視認する。 (思った以上に人がいるな・・・あんなにいたのか・・・)と少しあきれる。 そして、塀の上で腕を使って○や×を作る裸男たちもいる。 参道では、神男の居場所を示すナビ的役割にいつの間にかなっているのだ。 人間の渦には神男がいると思うのだが、塀の上の高い所でこのナビ的裸男たちが ×を示しているのを見ると、 (げっ!?ここにはおらんのかな?)と不安になったりもする。 私だけかもしれないが、このナビ的裸男たちのジェスチャーに、 「(神男が)いる」「いない」と心が揺れ動くところが、 またこの祭りの魅力の一つではないのか?と思ったりもする。 いずれにせよ、状況を少しは冷静に把握したため、私は塀の上から飛び降り、 人間の渦へと向かった。
 2回目のトライ。 やってはいけない塀の上から神男がいると思われる位置を確認したため、 オラオラオラっ!っと再び台風の中へ飛び込んでいったのである。 途中、手桶隊のたたきつけられる水をダイレクトに顔にくらって、鼻と耳の中に水が 入り、むせる。 キーンという耳鳴りに似た音が頭の中でこだまする。 ぐおっ!っとたじろぐ私。 しかし、すぐに私の後ろからも他の裸男たちが押し寄せ、前回のトライと同じく、 すぐに全身圧迫感を味わう状況になったが、肩を入れるように、かき分けるように、 とにかく、ぐいぐい神男がいると思われる台風の目へ接近していったのである。
 なかなか神男が見えない・・・(本当にここにおるんかな?) ちょっと不安になった自分を疑う。 (ん?まだまだ先かな?)・・・顔を上げると、塀の上で、手で○や×を作っている ナビ的裸男が見える。 (おる?おらん?どっちなーんっ!)・・・と思っても、この状況で私がとれる行動はたった一つ。 自分の意志では動けないので、いることを信じて中へ中へ進むしかないのだ。 とにかく、前へ、前へ・・・と、ぐいぐい身体を入れるように中へ進む。
 その内、スキンヘッドの頭らしきものを確認! あれだっ!!! 裸男たちの肘討ちを時々くらいながらも何とか手を伸ばすが前の人が障害になって なかなか届かない。 (あともう少し・・・もう・・少しだ・・・も・・・う・・・少・・・・し・・・・ ・) 自分の手を精一杯伸ばし、一番距離が長いと思われる中指に全精神を集中させるが、 このときの私の顔をもしカメラにおさめてたとすれば、きっと、時代劇などで仇を打 つため、 復讐心に燃えた若侍が、その前に仇の家来に襲われ、倒れながら腕を伸ばし、 「無念・・・」といいながら朽ち果てる顔に似ていただろう。
 触るチャンスは数少ないよ、ともKonさんに言われていたのだが、 私はこの数少ないチャンスをここでは逃すはめになったのであった。 いきなり横からの圧力に押され、私はどんどん神男から遠ざかっていった。 私が小学生のころ、70数年に一度の周期で、 楕円軌道を描くハレー彗星が地球に接近したときがあったが、 私はこのハレー彗星的気分を味わったのだった。


楼門

 楼門の中で、私は身動きできない状況下に置かれていた。 楼門を出たところは、裸男の集団が一時崩れるそうで、 神男を触る最大のチャンスと聞いていた。 そのため、私はいち早く作戦変更をし、楼門を出たところで待機しようと思ったので ある。
 一気にチャンスをものにしようと思ったが、 みんな経験豊富なのか、それとも常識なのか、たまたまなのか、 楼門周辺はとにかく裸男達で密集しており、ここでも身動きがとれない状態になって いた。 早く楼門を脱出し、国府宮神社内へ進みたい。 そんな願いもむなしく、楼門の中で足止め状態となった。 後ろは楼門の太い柱。 前からは、手桶隊の道を確保する他の手桶隊が身体を張って ぐいぐいと後ろに押しつけている。息苦しさを感じながらも、 私は何とか外へ脱出しようと試みたが、駄目だった。 (これは、神男の台風集団が突入してきたとき、それに押し出される形で脱出するし かないな・・・)と私は考えた。
 ぐいぐいと押し付けられる中、目だけは、前方に迫る裸男たちの集団を追う。 (来た来た・・・) と思いきや、楼門の入り口が裸集団には狭いのか、押し返される。 右へ左へ・・・遠ざかり、近づく・・・行き先の定まらない迷った台風のように、 神男を触ろうと群がった裸男の集団が動く。 (早く来てくれ〜・・・) 人間密集地の中で、私はただそればかりを考えていたような気がする。
 何回目の楼門接近であろうか、 ついに神男の集団が楼門に突入してきた。 楼門下で停滞していた裸男たちが前から、ぐぐぐ・・・と後ろに押され始める。 急に動けるようになったため、私は体をうまくそらしながら、 一気に楼門を脱出するのに成功した。 しかし、ここでも裸男たちが密集しているのに変わりない。
 まさに楼門を出たところで私は儺追殿を背後にし、 密集の中に自分のスペースを何とか確保した。 (いよいよ・・・だな・・・) 私は待ちに待ったチャンスを手にすべく、心の最終的準備にとりかかった。 このチャンスをものにできるかどうか、心臓の鼓動が激しく高鳴り、気ばかりが焦 る。 (早く・・・早く・・・)
 楼門から出てくる裸男たちの勢いが激しくなるとそれに比例して、 当然に前からの圧力が増す。 後ろに戻されるので、足を踏ん張って何とか耐えるが、 集団全体が後ろに流されているのが分かった。 (これではどんどん遠ざかってしまう・・・) そう思った私は、いつのまにか、人の群れをかき分け、何とか前進するように努めて いたと思う。
 なかなか前に進まないまでも、 じりじりと前方の楼門に近づいていくことに無我夢中になっていると、 幸運にも、渦がちょうど楼門から出てきたのに遭遇することができた。 (しめたぞ!) 私は自分の運の良さに心が舞い上がった。 しかし、渦の中に神男の姿はない。 (どこにいるのかな?) 必死に神男を捜す。 (ここにはいないのか・・・) 再び不安にかられるが、この裸男の群れの中、渦は一つ。 必ずここにいると信じて、さらに体を前に持っていく。 と同時に、急に肌色の頭と思われるものが、私の前に一人おいた距離で目の前に現わ れた。
人の渦にまぎれていた神男が裸男たちに持ち上げられて、 私の目の前に現われたのだと記憶している。 このとき、神男は、うつ伏せ状態で、頭を私の方向・・・ つまり頭を儺追殿に向けた状態であった。 多数の裸男たちに激しく触られ、なすがまま受け入れている神男をみ て、 気を失っているんじゃない?とそのとき思ったくらいだ。 垣間見る神男の上半身にも擦り傷が多数見えた。
 私は前方にいる一人の裸男の前に出ようと試みた。 この裸男の前には私の求めている神男がいる。 私はまさに神男を触ろうとする裸男の台風の目にいた。 私の前方にいる裸男は神男に触れているのだ。 (どいてくれ〜!・・・私に神男を触らせてくれ〜!) 私は何とかその裸男の右脇に出、手を伸ばし、 あと10センチくらいで左手の中指が届く姿勢を数秒間静止していた。 でも届かない。 (目の前なのに・・・)
 この10センチの距離を何とか縮めたい・・・でも縮められない・・・右足を踏ん張 り、 ぐいぐいとその10センチの距離を縮めていった。 (もう少し・・・あと少しだ・・・) 2、3センチの距離まで迫りつつあると思った瞬間、 左側から強い圧力をド−ン!と感じた。 私の左側から裸男たちが倒れ始めたのである。
 当然私も倒れた。 規模は私を含め、数人の裸男だと思うが、まさにちょっとした人間ドミノ状態。 私は倒れながら右手を使って体を支えたが、私の上に裸男がのしかかってくるため、 どんどん圧力がかかる。
 このとき、集団心理であるのか、倒れ込んだ窪みができると、そこに神男がいると 思い、 裸男たちが次から次へと体を乗り出し、押し寄せてくる。 今まで味わったことのない、苦痛を伴う圧力を感じながら、 (将棋倒しで人が亡くなることがあるけど、こういうことなのか?) という思いがふと頭をよぎった。 もう、あばらがきしむようなすごい圧力なのである。
 とにかくこの状況をなんとかしなくては・・・と思いつつも。 「ここには神男はいないぞー!」 と必死に叫んでいた、いや叫ぶことしかできなかった。 周りの喚声で聞こえたかどうか分からなかったが、 周りにいる冷静な裸男たちが、神男はここにおらず、 ただ倒れているだけと、 他の裸男に身振り手振りで示してくれているのが見えた。
 これがまさに功を奏し、私は大きな怪我もなく、無事脱出することができたが、 右腕を少々痛めてしまった。 おそらく、他に倒れた裸男も大きな怪我はなかったと思うが・・・。
 この間に、神男は他の場所に移動していたらしい。 脱出してから、私は右腕の鈍痛を感じながらも、神男を再び追いかけて走っていっ た。 ちょっとしたハプニングから、まだ冷めやまぬ高鳴った気持ちで、少々混乱していた と思う。
 今でもここの記憶が静止画のつなぎ目のように鮮明に残っている。 手桶隊の大量の水で水浸しになった境内。 時間的にも薄暗くなった景色。 神男を追って駆けていったバシャバシャという自分の足音。 下帯が水に濡れて、前垂れが自分の太ももにべっとりと貼り付く感触。 足袋の中にたくさんの砂が入ったあの気持ち悪さ。 この後、私は神男に接近することはできなかった。

 祭り終了後、私は帰っていく裸男たちの一人として、参道をゆっくりと歩いていた。 他の裸男たちは、触れたかどうか、あのときはああだったよなぁ、という話で盛り上 がっている。 私はこの時、終わったなぁ、という気持ちでいっぱいだったと思う。 まだ冷めやまぬ興奮といった感じか・・・。
 急に、ふと今何時か気になったため、参道にいた40代くらいの警備の人に、 「今何時ですか?」 と訪ねてみた。 見慣れたびしょ濡れの裸男の私を見、腕時計を見て、 「6時40分だよ。」 と教えてくれた。 私はお礼をいって、参道を帰路した。 時間を気にしなかった数時間。 日常生活ではこんなことはあまりないなと思う。 神男に触ることができなかったが、参加できた満足感であった。


再び国府宮へ

 2月下旬、私は再び国府宮裸祭りが行われた尾張大国霊神社を訪れた。 祭り当日にできなかったお参りと、お札などを買おうと思ったからである。 また、祭りとは違う国府宮の町や神社の雰囲気も味わいたかったし、 午後から名古屋に出張ということもあり、午前中、少々時間が空いていたという状況 も重なって、 再び名鉄線で揺られながら国府宮駅を目指したのである。

 祭り当日と同じ時刻くらいの名鉄線に乗り、カタコトと電車に揺られる。 外の風景を眺めながら、今日は片手に酒ではなく、仕事用のカバンを持っていること に笑みがこぼれた。 名鉄線の車両の中は、適度な客でにぎわっていたが、 電車から見える外の風景は、変わらないのに、何故か新鮮さを感じた。 そして、国府宮駅で下車したとき、祭り当日とは違う国府宮の町があった。
 平日のこの日、今年の祭り当日のように晴天。 風は当然のごとく冷たかったが、冬にしては暖かいな、と思った。 実にのどかな国府宮の町。祭り当日のにぎやかさが信じられない。 あふれるようなまぶしい太陽の光が注がれる中、私は尾張大国霊神社を歩きながら目 指した。
 長く続く参道。 祭りのときのにぎやかさはなく、人もまばらだった。 ここで、裸男たちの格闘というべき、神男への執着心の攻防があったのだ。 両サイドには、祭りのために作られた塀はもちろん取り払われていたし、 桜の木だろうか、まだつぼみはかたかった。 私は鳥居をくぐりながら長い参道をゆっくりと歩いていった。
 楼門の前に到着したとき、私は参道と楼門の前が道路で区切られているのに少々驚い た。 祭りのときは、完全に両サイドが塀となっており、 参道と楼門はつながっているものだと思っていたからだ。 私の知らない新たな発見ができ、改めて訪れて良かったな、と実感する。
 そして、祭り当日、密集した裸男たちでなかなか通れなかった楼門に到着。 今回はほんの数歩であっさり通ることができてしまう楼門。 このほんの数歩の距離を通るのにも苦労したな、と祭り当日の出来事を一つ一つ思い 出してみる。 この楼門の下を今まで何人の神男と裸男たちが通ったんだろうか・・・。 ふと不思議な気持ちに包まれながら、私は楼門を一歩一歩踏みしめながらくぐった。
 私が生まれるずっとずっと、ずっと前から続けられ、守られてきた歴史と伝統、 そして人々の意志。 時代は変わっても、変わらずに引き継がれていくものも、 確かにあるのだという素晴らしさを改めて感じた一日でもあった。

 また裸男として参加できますように・・・私は手を合わせた。

by さるっ太

2001.4.1投稿 4.14掲載。
2001.5.6投稿 5.14掲載。
2001.9.16投稿 10.6掲載。完