手桶隊
この町の男は
前厄、本厄、後厄の三年
裸男になるのが習わしである。
前厄の年(1988年)、私も裸男になりました。
小春日和で、暖かな一日だったと記憶しています。
なにぶん初めて。下帯の結び方が分かりません。
町内の古老に教えてもらいました。
無事笹を納め、楼門前でしばらく裸集団を眺めていました。
そして、早々に引き上げました。
この楼門前でもみ合う形が崩れます。
そこが神男に触れるチャンスだと聞いていました。
来年の下見をすれば十分と決めていました。
本厄の年は、年号が平成と変わり、
祭りは自粛となりました。
町内の笹は服を着たまま神社まで運びました。
本厄ですから、警察への進行経路の提出とか
事務手続きはやらせていただきました。
後厄の年、迷いましたが裸になりました。
楼門前に近付く頃を見計らい、
もみ合う集団の中に肩をねじ込みました。
台風の輪のように、男達は神男を中心に動いています。
途中の記憶はありません、
まさに目の前に頭を丸めた男が3人現れました。
必死で体に触れました。
また徐々に外に移動して行きます。
自分の意志は通じません。
足元で誰かが倒れ始めました。
押し寄せる人の力で、
その上に重なるように私も傾きます。
歯を食いしばり、
腕を固め、
息を凝らす。
人垣の上に丸い空が見えます。
家族の事が脳裏をかすめました。
そして集団が遠のき、
立ち上がれました。
しばし、呆然。
この時冷水をまともに食らいました。
緊張からの開放の中
バカヤロ−
手桶衆に罵声をあびせました。
その年の夏頃まで左胸の骨の痛みは消えませんでした。
「宮には年代物のクラウンが1台ありましてね。
お篭りの最初の日、それに乗って
挨拶に行くのですよ。」
神男キヨシさんは語り聞かせてくれました。
宮の東は小池正明寺町である。
ここの消防団が、小池と正明寺に分かれ
2年ごとの交代で手桶隊を努める。
「あの手桶の水で神男の道を作るんですよ。
私の時、裸が多くて
楼門から境内への道が
なかなか切り開けず
2度も押し戻されました。
あそこで
前歯2本折りました。」
「神男は手桶衆に命を預けるんですよ。
だから、まず最初に
挨拶に行くのですよ。」
祭りの終わった男達の背には
引っ掻き傷のような跡が残る。
手桶衆の水汲み場の水が尽きる頃には
底の砂までさらえる。
その砂がもみ合う肌に跡を残す。
いざとなれば、
地べたの溜り水さえ
すくうのである。
鉄鉾会と手桶衆
ここに男達の絆があり
この祭りのドラマがある。
1999年4月
村松さんを囲む会の話より
by Kon