おわりにあたり
今から2500年前、地中海には多くの都市国家が栄え,ギリシャのアテネでは 市民による民主政治が行われた。並立する国家はオリンピアの祭典により一民族と しての意識を高め、自分達をヘレネスと呼び辺境異民族をバルバロイ(聞き苦しい 言葉を話す者)と呼んだ。 今から2200年前、中国では春秋戦国時代の後,統一国家「秦」が栄えた。万里 の長城は辺境異民族に対する防塁であり,長城の外の異民族を夷狄(野蛮人)と称した。 1500年前、この国にも統一国家が生まれた。この”なおい神事”はその朝廷が 全国の国府に発した悪疫退散祈願の勅命に由来すると言われる。周囲4kmを神垣と 呼び、その外で儺負人を捕らえ厄払いしたという。この行事がこの時初めて起こっ たのだろうか。ふとそんな疑問がわきます。この地は尾張族の栄えた地であリ、更に 先住民族と交錯したはずである。それは、国府宮から6km程南に、大環濠集落、 朝日遺跡があることから想像されます。しかし、何よりもこの宮の奥に磐座(いわく ら、スト−ンサ−クル)があるという記述を目にした時、この祭りは2000年、 3000年溯る氏族の興亡に由来するように思えてなりません。磐座とは狩猟民族の 祭祈の場といわれます。 その由来ゆえに”けんか祭り”とも呼ばれ騒動に発展することもしばしばあり、勅命 等で途絶えたこともありますが、その都度復活しています。ひとりの男に難を押し付 けようともみ合う。少し卑劣かもしれませんが、はかない存在の人間の生きるための 切なさかもしれません。それぞれの時代の民衆がこの祭りを必要としてきたのではな いでしょうか。 産業活動、商業活動により人々の生活圏は広がり、辺境の地は後退して行きました。 変革の時を迎えた今、インタ−ネットによる世界的な情報活動により私達の心の中に ある辺境の地も後退しつつあるように思われます。それは決して不幸なことではあり ません。ただ、あのアテネの市民国家は人口の1/3の辺境異民族奴隷の上に成立し ていたことを私たちは歴史の中から学び取らなければなりません。それがこの1000 年、2000年の歴史の重さだと思われます。 日本三大奇祭と呼ばれながら、この祭りの全容はあまり知られていないような気が します。私自身取材を通じ、この祭りの奥の深さを改めて知った次第であります。 時代の古さ故に、この祭りには”人身御供”伝説がつきまといます。口伝としては2、 3聞き及んでいますが、それは神の領域。踏み込むのに躊躇します。古い祭りの原形 をよく継承し続けてきたこの祭りもいつかは風化するかもしれません。その前に歴史 の重さとして、その事を書き留めたいという誘惑にも駆られます。 しかし、その前 にどうしてもやっておかなければならないことがありました。それは、身命を賭した 男達の鉄鉾会とそれを脇から支える手桶衆。人身御供伝説を克服し近代の祭りに見事 に昇華させたこの祭りを支える男達の絆。この荒っぽい祭りの渦の中にそれがあるこ とを正確にお伝えしてからでなくては、その作業は始められないように思われました。 そんな思い入れで取材にあたった意図を、この宮の女神は受入れてくれたのでしょう か25年ぶりの白銀の世界での祭礼となりました。祭りの興奮が醒めやらぬ間にと、 取り急ぎ編集いたしました。拙いペ−ジの端からその趣旨をお汲み取り頂ければ幸い です。 西暦2000年2月末日 WebMaster Kon