名古屋宿

 宮の宿から北へ、名古屋城に向けて美濃路は進む。 現在の国道19号のル−トだが、古渡の北で少し東に向き、白川公園 で真北に方向を取る。現在は本町通りと呼ばれる。この沿道は城下町であり、名古屋宿は本陣、脇本陣、 旅籠のような宿泊施設は特に設けられなかった。しかし、伝馬町には伝馬100 頭が常備されていたという。 城の前、京町通りで美濃路は直角に西に向かう。

名古屋地図

 美濃路は五条橋で堀川を越す。昭和13年完成のコンクリ−ト橋だが、高蘭に往時の木橋の面影を残す。家康は陣頭指揮して名古屋城を中心とした都市計画を実施する。清州の地から寺院すべて移り住ませた(慶長15年(1610)頃、清須越)。町名や橋の名もそっくり この地に移した。長者町とか、清州の五条川にちなむこの橋の名前もそうである。





 これより西に円頓寺商店街である。 僕の家の菩提寺は正覚寺。浅間町にある清須越した寺である。 祖父は伝馬橋の近く、この堀川沿いで建築事務所を開いて いたという。橋の上でふと昔を想像したりして。すこし寂れた 商店街の風景がそうさせたのかもしれない。
 堀川の西の道路は「四間道(しけみち)」と呼ばれる。桜通りの桜橋からここまで、古い町屋が残っている。ビルに覆われた名古屋で、かっての城下町の名残を留める数すくない場所である。
 元禄13年(1700)の大火後、防火の目的で道幅を4間(約7メートル)に広げたことにより、四間道と呼ばれた。

 城を作るために整備された堀川は、商業船運に引き継がれ、この当たりも蔵が建ち並び華やかだったろう。明治の頃には、四間道でも窮屈で 町角の祠は屋根の上に移された。屋根神様である。


2001.6.3
by Kon