本宮山
見渡す限りの稲穂。
尾張平野のほぼ中央の稲沢は
かって千町田面(ちまちたのも)といわれ
旅人を驚嘆させた。
江戸時代の名所絵図に奥田の千町田面として一文が認められる。
私の子供の頃
新幹線の高架で視野が遮られる前
鈴鹿山脈まで一望の遠景のなか
青々とした稲の頭を一陣の風が吹き渡る光景の記憶がある。
いまではビルが視界を遮り
道路の切通しも電線が猥雑な景観しか提供しない。
この町で遠くの山並みに気付くことは
めったにない。
かって人々が眺めた山並みを見るには
どこか高い所へ行くしかない。
3月の終わり
JR跨線橋の上に立ってみた。
東の鶴見 西の吹田と並ぶ日本3大操車場として、
この鉄道貨物操車場は
日本の重要産業施設として、歴史を刻んだ。
今、大正14年(1925)からの
歴史に幕を閉じようとしている。
橋の頂上から北西に残雪の伊吹山
そこから東に目を移すと、
はるか彼方に御岳山
近くでは岐阜の金華山
そして、尾張富士と本宮山
山のかたちは、見る位置により微妙に変化する
たとえば、小牧空港の北端まで行くと
尾張富士と本宮山がふたつ際立った姿で眺められる。
この姿には、ひとつの物語がある。
本宮山を大富士と呼ぶのだが
背比べをして低いのに気付いた尾張富士は悲しがり
以来、尾張富士に毎年夏、皆が石を持って上がる。
浅間神社の石上げ祭りの由来である。
山は遠くで眺めるのがいいかも知れない。
近くの青塚古墳の上から真近に眺めてみた。
古来の言い伝えを伝える姿だけは留めておいて頂きたいものである。
2000.4.7
by Kon