立部神社
愛知県稲沢市北市場
織田信長の居城、清洲。
その北にあった市場。
ここを北市場と呼ぶ由来である。
かって、この地一帯は立部荘という荘園であった。
この神社は、その時代の流れを今に伝え
立部(たてぶ)神社という。
戦国部将には須佐之男を信仰することが広まった。
祇園精舎の守護神、牛頭(ごず)天王は
この須佐之男と習合され民間信仰として全国的に広まった。
天王社は全国三千社に及ぶとされる。
天王社の総本宮が愛知県津島市の「お天王さま」津島神社である。
立部(たてぶ)神社の横の小道は旧の美濃路街道である。
境内の東並びに山車倉がある。
「あの車倉から川に山車を浮かべててね。言い伝えだよ。」
地元の方が教えてくれました。
「この神社、そしてあの稲荷神社。昔の五條川の跡さ。
わたしの田はあそこなんだが、今でもしじみの貝殻が出るよ。
不思議なもんでね、川のあそこに、今も湧き水があるんだよ。」
川岸には神社を祀る。神社は余程のことがなければ動かしたりしない。
そして、古(いにしえ)を伝える。
川は流れの力で、少しずつ湾曲する。
日常はそうであるが、ある時一気に流れを変える。
自然の摂理であり、神の意志である。
川跡は耕地としては絶好の条件にある。
少しずつ耕し、田に変えていく。
神の恵と人の生活。
尾張平野では何千年にもわたり、この歴史が刻み込まれてきた。
僕はそう思う。
「天保何年とか書かれた祭り覚書き、あったんだけどね。」
2000.7.22
by Kon