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慶長13年(1608)尾張藩により犬山より弥富まで48キロの堤防工事が完成する。
御囲堤とよばれるこの堤防は、自然堤防を補強する程度のものから、初めて計画的に
広域で作られた堤防だったといえる。施主が尾張藩ということで、地元の細々した地形
は取合っては頂けない。そうだったと思う。ある程度の高みを連続的に築堤している。
堤防の外になってしまう村もあったろう。それでは全員移住だろうか。 |
猿尾という堤防流儀があった。村の上流から下流にかけて堤防を張出す。猿の尻尾が 包むように。これで洪水で流されてしまうことを防いだ。 多分これは地元負担の自普請だったのだろう。そこには、少なくとも自分たち の村人の命だけは守るという知恵があった。 |