天王橋
水郷地帯では水とのたたかいが生活であった。
文書として残る記録だけでも相当な数である。
例えば
安政元年(1854)旧暦11月4日(12月23日)
午前8時から1時間程、大地震。被害甚大。
安政2年(1855)旧暦7月26日(9月7日)
29日まで風雨。地震の被害修復不十分で被害甚大。
安政2年(1855)旧暦8月20日(9月30日)
台風。夜10時ころから高潮。沿岸堤防91ヶ所決壊。
このような時、佐屋代官から夫食米が出たとされる。
そして、富裕者から”施し”が出るのが伝統であった。
安政2年は富裕者の被害も甚大で”施し”の余裕
すらなかったと記録されている。
水郷には幾多の橋があるが、江戸時代は
藩が架け替えを行う「公儀橋」
藩士知行人が架け替えを行う「給人橋」
農民が架け替えを行う「百姓自分橋」
この3通りがあった。
ここ蟹江川の天王橋は「百姓自分橋」であった。
東岸の八剱社
2000.6.13
by Kon