八剱社


江戸時代の「尾張誌」には、須成村に牛頭天王社があり

末社として八剱社と記載されている。

明治には、須成村の鎮守が八剱社とされ

相殿として富吉建速社とされた。

明治の神仏分離により,習合されていた

牛頭天王と須左之男は分離され、

復古神道により須左之男命が祭神とされたことになる。

これは、時代の流れの所作であろうが

慶長年間よりの伝統の”天王さん”は,祭りとして

伝承されて来たことになる。



この神社には慶長十七年(1612)の銘を持つ釣灯篭があるが

細工すべてが一体で製作された,鋳物としては精巧な品である。

祭り当日の拝殿。天井から現在の釣り灯篭が二つ。



八剱社の隣にある竜照院

台座銘文より

人形を抱くは母の慈しみを抱くなり。

あたえし者の心、抱きし者の心持ち

自然の中に帰り、安らかに。



近くの人形店が毎年行う人形供養の石像

(株)石塚人形

tel 05679(5)0889



2000.6.13
by Kon