八剱神社


2001年7月29日(日)


セミの声のする須成の”天王さん”

朝6時に若衆の舟が太鼓を叩き、
粽(ちまき)を投げながらここを出発した。

2時頃には舟一杯の葭(よし)を積んで帰って来る。
この葭で直径一尺程の束を4束作り、
祭文殿にお供えしておく。
”御葭流し”の時、御神体の台座となる。

この絵は右の大木のあった所の家の壁に掛かる絵。

確かに、昭和13年頃、この八剱神社の脇で葭は刈れたろう。
護岸工事で葭刈場がなくなり、
須成小学校長だった横井さんが亀ケ地の葭刈場を提供した。
それから70年、
十四山村亀ケ地の葭刈行事が伝統となった。
二代目横井さんも、お世話してもう20年という。

葭刈連の舟は本町入舟地区の方が提供している。
入舟地区にはかって300軒程の漁師がいた。
軒先まで海の景色も、もう消えた。

「年に一度くらいはボランティアもせんとね」と船頭さんは言う。
「葭刈の写真撮りたきゃ、これに乗っていかんと」と僕を載せてくれた。

祭は時代の流れで、すこしづつ変わって行くが、祭の心は変わらない気がする。
貴重な写真とお話を聞く機会を与えて頂いた皆様に、改めてお礼申上げます。


2001.7.29
by Kon