鞆江(ともえ)神社
愛知県尾西市明池字鞆
一の鳥居前。郷中の路があり、南に地蔵の祠がある。
二の鳥居前には県道が走る。
広い境内に三の鳥居。ここまでの参道の黒松は市の記念物とか。
山門。
ここには、明治の神仏分離まで清連山神江(ともえ)寺があった。
明治5年、寺を廃し住職は自ら神官となったという。
「
静水の脇に道路を隔て池が眺められる。
「御手洗池」と呼ぶが、古くは「放生池」
祭神
仲哀天皇、神功皇后、應神天皇、武内宿禰
合祀 素盞嗚命、大山咋命
秋葉様の祠
明治40年までは尾張国最大の「放生池」であり神江川が流れ出ていたという。
田植え時期には水が溜まるが、冬には枯れる。釣り人が教えてくれた。
古くは
養老4年(720)9月、疫病蔓延、死者続出。
降って
弘安4年(1281)、異国大挙襲来。
このような折り
霊を弔い供養の勅命。
神江寺にて大般若経六百巻を奉読。
生魚を放つ。
この故事により、この池は「放生池」と呼ばれた。
古木曽川により弓の鞆に似た地形より
鞆江の名とか。
2000.6.16
by Kon