縁起伝承によれば、創建は古く推古5年(597)。
伊勢の甚目(はため)竜麻呂が海中より紫金の観音菩薩を網にかけ、
近くに一草堂を建て、甚目寺として祭ったことによる。
平成2年、発掘調査により単弁蓮花文軒丸瓦、柱跡が確認された。 残存柱より年代は650+50年と推定された。 尾張の古代寺院としても最古の部類であることが分かった。 その当時の心礎の一部が、鐘楼堂の基礎の一部に使われている。 往古、天智天皇が病気平癒の願をかけ、全快したとの伝承がある。 鎌倉時代には、一山五百坊といわれ、3000もの僧がいる隆盛と伝えられる。 江戸時代には、尾張四観音として遠来の参拝者を集めた。 |
南大門前には「右つしまみち」、「左さ屋まじまみち」の道標が立つ。
「つしまみち」は尾張名古屋から西枇杷島、新川、甚目寺町を経て 津島に至る津島街道であり、「上街道」とも呼ばれた。 「さ屋まじまみち」は南大門前を起点に「佐屋街道」の間島まで南に下る道であった。 甚目寺が最も栄えたのは、五条川の港、萱津が最盛期の鎌倉時代であったろうか。 |