伊勢湾出口の神島は三島由紀夫の「潮騒」の舞台になった。渥美半島の「伊良湖岬」とは4kmの距離であり、引き潮の潮流は川のようだという。この島に名港管理組合の船舶監視所がある。
ここ「明神山」も絶好の監視所ポイント。「羽豆岬城跡」があるのも当然だろう。尾張藩は異国船警戒のため、遠見番所をここに置いた。 |
祭神 建稲種命「尾張氏の祖神」 神位 従一位羽豆名神「尾張本国神名帳」 由緒 創立白鳳年中(七〇〇〜) 一、 熱田大宮司攝津守親昌その猶子昌能羽豆崎に城を築く神社修復(一三二二〜一三五五) 一、 宗良親王御奉幣(一三七〇) 一、 尾張徳川家累代御参詣東照神君義直公頼宣公光友公義誠公吉通公 一、 明治五年郷社に列する 一、 延喜式内名神 宝物 県文化財指定 心阿彌陀経一巻妙法連華経八巻 應永十五年(一四〇八)一色道範奉施 例祭 旧八月十四十五日 大名行列山車五台神輿行列 −境内案内板−
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尾張氏の祖を祭神とする。式内社であるから、朝廷より幣帛(へいはい)が毎年支給されたはずだ。 古来、伊勢湾の制海権は伊勢神宮が握っていた。目の前の篠島も、かっては伊勢神宮領であった。毎年10月には「太一御用」の旗を掲げ、奉納船が鯛を神宮に届ける。その名残だろう。 戦乱の世には、たとえば南北朝時代、宗良親王が坂東への密使の途中にここへ立寄る。三河守護の一色満範が戦勝祈願のため写経を奉納する。そうした歴史を刻ませるのは、この地形の成せる業だろうか。 |