名古屋の北,庄内川を水分橋で渡ると東に神社がある。
仁王様が立つ山門を備えた護国院の東が境内地。 護国院は天平年間(729〜749)行基の創建で薬師寺と呼ばれ、天永2年(1111)西弥情人再興(案内板より)。味鋺神社はこの鎮守だったのだろう。 |
神社の北東1kmのところに二子山古墳があり、
かっては神輿渡御が行われていたという。
この近辺は味鋺の百塚と呼ばれた程、墳墓が多くあった。 天神古墳からは5世紀初期の四獣鏡、捩文鏡、琴柱(ことじ)が出土。 白山藪古墳は昭和25年に発掘調査、5世紀初期の首長の墳墓と確認せれている。 |