この祭りに寄せて

  この祭りも、20年途絶えた時期があります。祭り囃子が先に復活し
この地区の小学生は全員太鼓が叩けるそうです。 もう25年の伝統と
お聞きしました。
   この町も在地の方に新興住宅40軒の住民が加わり発展してきました。
お囃子保存会の寄り合いで、「祭りもう一度やろうか」、「やろうやろう」
そんなことである年、何の準備もなく山車を引き出されたそうです。
次の年、新しい方が「こんな祭りがあったんですね、今年もぜひ」という
ことで復活継承されることになったそうです。
 山車は地元の大工さんが修理維持されています。曵き子がいないのは
工夫の仕掛けがあります。数人で山を回すことができます。その仕掛けを
写真公開します。


  かって、富を一手に集めた”御大尽”がいました。祭りの源流として
豪華絢爛といった一つの流れがあります。水引幕を新調するのに2000万
するともいわれます。
  私の町内には山車はありませんでした。お盆には”安寿さん”という
祠のある境内に丸太を立て、ほおずき提灯を灯し、近くの草むらで
”肝試し”をするのが慣わしでした。小学6年生がすべて取り仕切り
ました。私の3年後に、それも途絶えました。
   豪華絢爛な山車祭りは復活盛大化が現今ですが、素朴な形の
山車も復活の意義はあるように感じます。


  祭りには人を呼ばなければなりません。この祭りもかっては夜店も
出たのですが商売になる人出でなく夜店はとだえました。去年、子供会
で夜店を自主運営されました。この境内に夜店を立てるに仕入れで30
万現金が必要です。雨で流れればおしゃかです。親しくお話を伺った
子供会の幹事さんも”一発勝負よ”とおっしゃっていました。この
夜店運営のノ−ハウも含めた祭りの伝承は今後の地域住民活動にとっ
て貴重な資産になると確信いたします。
 今、時代が変わろうとしています。今年の経済白書でこのIT革命は
”蒸気機関の産業革命以来の大きな流れの変化”と明記されたそうです。
このような流れのなかで悲喜交々のドラマが生まれます。しかし
それは乗り越えなければならない運命とでもいいましょうか。そして、
消え去るもの、残すもの、生まれるもの、その見極めは重要な一里塚
となるとおもいます。
  私達は今インタ−ネットという新たな道具を手にいれました。それは
個人が伝えたいと思う情報を発信すれば即座に世界に届く手段です。
従来のマスメヂアでしかできなかったことを個人でできる時代です。
しかも、その発信にはネットの彼方から即座に返事が反ってきます。
これは従来のマスメヂアはできなかったことです。すばらしいことです。
アクセスしない人には存在すらしない世界ですが、いま広がりつつあり
ます。
このようなインタ−ネットの世界は便利ですが、世界の中で自分を見失
うことにもなります。あなたは誰、あなたの町はどんな?。それには
しっかりと返信しなければなりません。そのような意味において、この
町のこの祭りはおおきな意義をもつことと思います。


 かって、この祭りには多くの人が集まったと思います。それは御用意
頂いた”おこわ”の量でわかります。この”おこわ”の量は長く言い伝え
の量を守ってこられたのではないでしょうか。来年は少しでも多く
の方に集まって頂けるよう、ささやかですがこのペ−ジを作成しました。
本年の祭礼は無事終わりました。来年も我が町の”こがし祭り”共々収
穫のある歴史を重ねられることをお祈りいたします。


   黒岩石刀山車保存会,子供会、町内会御一同様へ
                                               2000.7.30
                                                Konより