一休.COM |
1998年7月30日設立の株式会社一休が運営する一休.COMは、その名が示すようCOMビジネスの成功者。高級ホテル・旅館専門予約サイト。高級に限定した戦略の勝利だったといえる。 インターネットビジネスで、まず確立されるサービスがホテル予約。検索技術が、そのまま流用できる。商品は宿泊予約。予約した客はホテルに必ず行って宿泊する。料金はホテルが徴収する。 インターネットビジネスでクリアしなければならないのが、配送と料金徴収。この問題は、2004年の時点でも試行錯誤といった状況だ。有力なのは、料金引き換えのコンビニ渡し。あるいは、宅配のコレクト配送。でも、結構な費用が発生する。インターネット時代の革命的サービスとはならない。 検索サイト作りのブームの頃、宿サイトは無数にあった。Yahooライクに全国リストを準備しておいて登録無料で参加ホテルを待つ。だが、無料と言えどもリストが埋まることはなかった。登録ホテルがゼロの県があれば検索サイトとしては致命的なマイナスイメージだった。 一休.COMは早い時期にアファリアイトを利用していた。アファリアイトサイトの目玉的存在であった。バリューコマースでいち早く個別ホテル直接リンクを提供した。成功する素地の上に、ターゲットを絞り込み、的を得た手法を利用した。当然とはいえるが、コロンブスの卵。最初に結果をだした者が栄光を手にできる。 |
高級ホテル |
漢字と「ひらがな」を使うように、「ホテル」と「旅館」がある。それは、昭和23年制定の
旅館業法に、両者区別して定義されているのだから、日本の当たり前の文化といえる。
総務省の産業(小分類)別全事業所数を見ると、平成13年(2001)の[旅館,その他の宿泊所]は 74,659事業所とある。平成8年(1996)は87,416だから、減少著しい。 この中で、国際観光ホテル整備法により一定の基準を満たした施設として政府登録された「ホテル」「旅館」は全国に約3000軒ということだ。 江戸時代末期から明治時代にかけて西洋人のための宿泊施設として建設された「ホテル」がある。「クラシックホテル」と呼ばれ、別格といえる。 クラシックホテル「富士屋ホテル」は箱根・宮ノ下にあり、本館は明治24年に建築されている。昭和5年に建築されたダイニングルームで夕食をとるのだが、神社建築の趣で外人好みを狙った建物だ。 軽井沢万平ホテルは、江戸時代から続いた旅籠「亀屋」を増改築したもの。明治26年(1893)に東京と軽井沢が一本の鉄道で結ばれ、外国人避暑客が訪れてブランドが確立した。 なんといっても、日銀本店や東京駅を設計した辰野金吾による奈良ホテルはクラシックホテルの見本ともいえる。明治42年10月、関西の迎賓館として開業している。 若い頃、ケーブルカーで宮ノ下につくと夕暮れであった。泊った先は「富士屋ホテル」。年を経た今、「富士屋ホテル」に泊れる状況でもない。独身貴族のうちに、一度泊ってみてはいかがだろうか。 ホールの隅にピアノが一台置いてあった。弾けるなら弾いてみるといい。うまいへたではなく、ムードがあればいい、きっと拍手がきますよ。夕食後のひととき、そんな風にすごすのがクラシックホテル。拍手をくれた方が、実は高名な音楽家だったりして。 |
名古屋の老舗ホテル |
名古屋の歴史あるホテルといえば、栄の国際ホテルか、お城のキャッスルだろう。 (株)名古屋国際ホテルは昭和36年(1961)中部財界の要望により設立されている。昭和46年(1971)に名古屋で世界卓球選手権大会が行なわれた。この時、中国が世界外交に再登場し、ピンポン外交と呼ばれた。通訳スタッフで名古屋国際ホテルに1週間常駐したことがある。 新幹線までシンガポールIOCのVIPを迎えにゆき、ワシントンホテルに案内した。その頃第一ワシントンホテルがオープンしたばかり。VIPは、ここではだめ国際ホテルにしろ、Mr.GOTOの了解を取れとおっしゃる。ボスの了解でトランクを持って国際ホテルに移動した。閉会後の見送りも僕が新幹線駅で立ち会うことになった。VIPは「Thank You」とパーカーの万年筆を手渡してくれた。 あの頃、他には駅前の都ホテル。それ以外記憶にないのだが、名古屋に宿泊施設がなかった訳ではない。旅館が沢山あったということだろう。 名古屋の住人は、名古屋の旅館のことはわからない。 |
高級ホテルポータル |
従来、旅行代理店にプランを依頼すると当然宿泊先を斡旋する。ホテルや旅館に客を回し15%〜30%の手数料を取るビジネスモデルだった。ネット販売だと手数料は5〜9%。ここでインターネットホテル予約ビジネスが成立する。少なくとも、手数料の差額の一部を利用者に還元することでインターネット商品を提供できる。 10%程度の手数料差で成立させるビジネスなら、単価が高いほうが売上額が大きい。高級ホテルに限定したほうが商品のカバー率を早く100%に近くなる。一休ビジネスは、こうして先行者メリットを勝ち取った。 どの業界でもそうなのだが、1998年頃「これからはインターネット」の掛け声とともにホームページを作りましょう運動があった。決まったフォーマットで、写真と、施設 の案内と、料金体系を掲載する。国際観光旅館連盟の各支部でも行なわれたが、1年に1件とか2件の予約ガ入るのが実情だった。 宿泊施設のウェブサイトには、極端に言えば、空室状況と値段、予約フォームなどがあれば事足りる。しかし、それを自社で構築して、管理して、メンテナンスは大変なことだ。接客やおもてなしのプロだが、ネットのプロではない。サーバーをどうのといわれるとお手上げ。PCメーカーやソフトメーカーの売り込みはあっただろう。独自サーバーを運用したホテルもあっただろう。しかし、インターネットの具体的な利用方法はもっとシンプルだった。 ベースとして一休.COMのシステムを使えば、予約システムはそれで完結してしまう。 |
世界のホテルチェーン |
一休.COMの扱う宿泊施設は600社。掲載施設の条件は公開されていない。高級ブランドを扱う高級ブランドポータルといったところうだろう。 故ダイアナ妃が最後に泊ったホテルは、パリの「ホテル・リッツ」。1898年にオープン。翌年(1899)にロンドンの「カールトン・ホテル」が開業している。 ヨーロッパの数多くの有名ホテルで雑用係として働いたセザール・リッツ は、世界の富豪や王族たちに『快適さ、安全性、プライバシー、 サービスにおいて、自宅のようにくつろげるホテル』を提供し、ホテル王となった。1908年、スペイン王は、プラド美術館の正面に、その一部のように思える程のリッツ・マドリード建てさせている。 米国では、20世紀初頭、ビジネスマンが快適、清潔、便利に利用でき、かつ値ごろ感のあるホテルチェーン作りに成功し、折からの交通機関の発達と相まって、都市間の交流人口を増やし、米国産業界の隆盛に貢献した。そのリーダーが、近代ホテル経営の創始者、エルスワース・スタットラー(1863年〜1928年)で、コーネル大学ホテル経営学部の創設でもある。スタットラーホテルチェーンの歴史はヒルトンに受け継がれている。 「リッツ・カールトン」は米国に進出したが、成功はしなかった。 「リッツ・カールトン」自体、1994年にアメリカの巨大ホテルチェーン「マリオット・インターナショナル」の傘下となった。 日本に外資系ホテルとして1962年に開業した東京ヒルトンは、実質的な欧米流ホテルマネージメントで運営されたホテル第1号で、以後日本の「ホテル」のモデルといわれる。 名古屋の高級ホテル「キャッスル」は昭和44年(1969)にオープンしている。2000年「ウェスティンナゴヤキャッスル」へ改称。ウェスティンは1930年に創業の「シェラトン」「W」「セント・レジス」などのブランドを擁する高級ホテルチェーン。 |
2004年5月3日 |
息子の結婚が5月3日と決まった。近くの神社で身内の式を挙げ、名古屋で披露のパーテイ。そんな招待状をもらった。
パリのオペラ座の席をインターネットで予約して、ハネムーンがてら出かけるという。飛行機等は手配済み、5月3日の宿は決めてないとのこと。 何もしてやれない父親なのだが、一休.COMの会員メールをチェックはしておいた。結局直前予約でヒルトン名古屋を利用した。すべて自分達で処理したようだ。父親の出る幕でもなかった。 会員メールを眺めていると、一休.COMの商品が、どういうルートで供給されるか、なんとなく分かるような気がする。
情報がすばやく動いて、宿泊各がハッピー、空気を載せて飛ぶよりデイスカウント客を乗せて 飛ぶほうがハッピーな航空会社と同じく、ホテルもハッピー。そしてビジネスが成立する。ホテル予約 インターネットビジネスは、ほぼ確立したと言えそうだ。 |
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