2001年10月08日(月)未明、報復作戦の1波、2波が実行された。おそらくアフガンの市民の血は流さないことを目標に行われたのだろう。
ピンポイントと完璧なタッチ&アウェイでテロリストが捕捉されると信じた。
しかし、それは願いにすぎなかった。400億ドルの戦費支出を議会承認した米国はビジネスの舞台を換えた。米国のネットバブルがはじけた。 「公共事業としての戦争はしない」。これは僕達、日本の信念。僕達は僕達のビジネスモデルを築き上げなければ ならない。ネットはバブルだったのか。僕は自問してみた。 2002年に入り、HESO-Clickからのメールは1クリック1円のポイントメールとなった。週2、3通のメールには、無料会員募集のオプトインメールが 多くを占めるようになった。 |
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消費者が広告を見てお金がもらえる。今まで無かったことを、
インターネットが始めた。双方向性(インターラクチブ)広告は、こうして
オプトインメールから開始された。Webのバナーはクリックしても商品
情報は与えられるが金銭的見返りはなかった。それを、Cookieという手法を
利用してWeb閲覧者にも報酬を支払う仕組みをHESO-Clickは提案した。 まず、メールで「広告が配信されましたよ」と知らせる。受け取った人は 自分のPCから、どこかアクティブスクロールバーのあるページを閲覧する。 クリックして閲覧した事を知らせる。Cookieにより、その人に向けた広告が表示される。報酬が支払われる。 Webブラウザをプラットホームとして実現するこのシステム。しかし、 メールのリンクをクリックすると広告主のWebに直接ジャンプできる。アクティブスクロールバーを 掲載するWebオーナーの手を借りる必要はなかった。 こうして、アクティブスクロールバーは使われなくなり、ポイントメールの会員募集ラッシュが始まった。 |
僕はポイントメールはすべてクリックした。1年で140通程になる。
1クリック1円だから140円程。換金は5000円以上から。クリックだけをしていては現実にはキャッシュバックは
されない。1クリック1円だからクリックする。0円だったらしない。1円とは
インセンティテイブの境界線である。 広告主は売上を期待して広告料を計上する。広告は見てもらうだけでは、しかたのない話。見てもらわなければ、販売には繋がらないのも確か。1クリック1円というのは、 広告主と消費者のぎりぎりの妥協点なのだろう。 従来の広告より効果的なので、インターネット広告を通じた購買は デイスカウントいたしましょう。20%のキャッシュバックをいたします。 これがインターネット広告の使命。僕は広告配信会社から直接広告を貼れせてもらい、 成果報酬を得る。例えば、会員募集に応じると100円と告知されているが、 僕自身が僕のバナーから入会すると200円のケースがある。ページオーナーは 決してポイントメールから入会はしない。 インターネット上にページを公開することは、難しい事ではない。 WindowsのOSを標準インストール すると、Front Page Expressがセットされている。これを使えば、マウス操作で大抵のことは出来る。背景色の決定とか、画像のサイズの調整は画面で見ながら マウスでするのが一番。このあと、「メモ帳」でHTMLのタグを点検、修正していく。 タグも基本的なものしか使わない。 ワープロを使い写真などをアレンジできる方は、Webページはお手のものだと思う。 WORDは「HTMLで保存」を選択すれば一発でHTMLに変換してくれる。「メモ帳」で点検し、あとはサーバーに送る準備だけ。 家族の旅行写真と文章をまとめ、Welcomeのindexをつけてまとめる。 5Mもあればりっぱなサイトができる。サーバースペース5Mはプロバイダーの 基本料金の中に入っているのが普通。アファリエイトサイトに 広告掲載の申請を出して見るといい。A8ネットは受け入れてくれると 思う。 マスメテイアでは発信者は放送局しかない。しかしインターネットでは、個人も 発信者。皆が発信者になることは、難しいことではない。究極的には、万人がWebページ オーナーの発信者になれると考えていだろう。 Yahooの1日のページ閲覧数は2億7万PVといわれる。ここではインプレッション(露出回数)による広告料金体系である。広告はクリックされる必要はない。これに続く有名サイトに広告を供給するシステムはクリックが基本となる。個人向けのアファリエイトは、実際の 購入に対して、定額か定率が基本である。それぞれ広告課金システムは別物 と考えていいだろう。個人Webがこのアファリエイトで広告収入を得るということは、 究極的には、自分自身か家族かお友達の範囲の商品購入を通してしか 発生しない。ということは、理論的には、生活費の10〜20%のデイスカウント料 であり、価格に上乗せされた宣伝費をペイバックしてもらったと考えていいだろう。 個人Webオーナーがバナー広告から受け取る収入は、せいぜいお小遣いの範囲であり、コンテンツ製作の経費を、広告収入では賄えないことになる。僕の2年間の広告掲載データーが、数字として示している。素直に受けとめるべきなのだろう。 |
広告はお金を貰って見るもの。ただし、その商品を買わないとキャッシュバックはなさそうだ。2003年の日本インターネット事情で,
多くのオプトインメール受信者
が゙体験を通じて知るだろう。インターネットの双方向性を利用して実現する広告配信サービスもばら色ではない。 2000年までのインターネット黎明期において、「検索」がキーワードだった。Yahooが開拓したフロンチアに、個人によるYahooライクな検索サイト立ち上げラッシュが続いた。Yahooへの登録競争があった。Yahooはサーファーチイムが厳選 審査で自社のデーターベースを構築していった。個人検索サイトは優良個人サイトへの登録勧誘で対抗した。その第一幕を終焉させたのはGoogle。 膨大な全世界のWebデーター を月1回のロボット収集でフレッシュさせながら、HTMLの本質であるリンク構造を基軸に人間の恣意の入らないランキングアルゴリズムで情報を整理し続けている。この データーベースを、TEXTマッチング技術により瞬時に検索表示する。人間の作業が 介在しないという公正さと結果の妥当性により「検索」という世界を塗り替えてしまった。 つい2年前、メールマガジンによるURL新着情報サービスがあった。熱が冷め多くが休止状態である。アクセスUPには「検索」サイトに登録とか、 メールマガジンに投稿する必要がなくなってしまった。GoogleのRankを上げるコンテンツ 作りに注力することが最も効率的であると言われる。 インターネットビジネスにおいては、当初無料が前提であった。そこで集めたデーターが将来の収益基盤になると予測された。事実、Googleは利用者の 検索ワードに反応して広告を表示させるサービスを2002年10月始めた。企業はいつまでも無料 とはゆかない。広告料を経営基盤としている。 僕は3年前インターネットの魅力に接しサイト作りに挑戦した。ちょうど20世紀と 21世紀の変わり目だった。あの時決めた事は、身の回りの情報 を整理して発信すること。僕しか書けないテーマを見付け、発信続ける事。 あの一年の作業と、その後のホローでインターネットの中の今の僕がある。 かけがえのない1年だったと思う。そして、NetWatchを続けながら、 多くの事を学んだ。 僕のテーマは「それぞれの町に、それぞれの祭り」。情報の うねりの中に、すこしばかりのバルーンを飛ばすこと。YahooやGoogle だって、依って立つところ所は、僕達のコンテンツのはずだ。コンテンツ クリエイターというポジションをこの波の中で確保したかった。 2003年末日本。光接続が手に入り、地上波デジタルTVが始まる。「検索」に まつわる大きな波を僕はやり過ごした。しかし、今度の波は大きいと思う。 ボードを漕いで波頭に向かわなければならない。その為の3年前 だったはずだ。幸いYahooに4サイト登録してある。家庭のTVでインターネットが見られる時、Yahooは力を貸してくれるだろうか。コンテンツ 作りの経済的基盤は、ネットバブルの熱が冷めて見通しも立たない。だが、 沖で高まり出した波に向かって泳ぎ出すことにする。 |