MicrosoftのこんどのOSはすごい、そんな情報は雑誌でも目にしていた。 MSJ(マイクロソフト
システムジャ−ナル)の1994年4月号を僕は購入している。 Windows95の開発コ−ドネ−ムはChicagoなのだが、 Chicago情報 第2弾! 16bitアプリケ−ションをChicagoに対応させるための17のテクニック こんな見出しで、つい買ってしまったのだろう。 この時期Chicagoはαテストに入っているが、ソフトウエア開発キッドが登場する前の待ち時間に32bitアプリケ−ションのプログラマ−にしておくことの指針を概説している。 1995年に入り、僕の手元にもMicrosoftWindows95 PreviewProgramが届いた。自宅のDOS/V機に インスト−ルしてみた。色々あって何度も再インスト−ルした思い出がある。 プレリリ−スガイドによれば、インスト−ル可能な最低マシ−ンスペックは下記。 そのWindows95の正式バ−ジョンが、1995年8月24日に米国で発売され、日本では1995年11月23日にリリ−スされた。僕はその頃、まだWindows3.1のカスタマイズを一生懸命していた。僕の作業環境でWindows3.1最小のシステムにシェイプアップし、非力のEPSONのカラ−ノ−トにをインスト−ルしたかったからだ。 自宅のWindows95のPreviewProgramは1996年4月で使用期限が切れた。僕はPCの時間を1980年にして、かまわず使っていた。Microsoftの伝統で、上位バ−ジョンは下位バ−ジョンのアプリケ−ジョン や周辺機器は絶対動作するはずだ。Windows95は従来のDOSから開放されたOSであり、 製品の流れでは大革命なはずだが、この辺を確認したかった。本当にWindows95を買うのはその結果でいいやと思っていた。 それに、周辺機器の32bitDriverを集めるには時間が必要であった。 |
中古なんだけど、2台目のDOS/V機を1997/8/1に購入した。 COMPAQ DESKPRO5133
Pentium 133 + RAM 16MB +HDD 1.0G このパソコンは、Windows3.1の時代に どこかの社内LANで使われていたのかもしれない。 10baseTのLAN BOAD内臓であった。Windows3.1はLANツ−ル(NetWare)を 追加してLANを構築することになっていた。この辺がCOMPAQの得意分野だった。 「Compaqインフォメ−ションセンタ−」とよぶ管理ツ−ルが組み込まれて いた。Windows95は自前のLANツ−ルをOS自体で装備している。かえって 「Compaqインフォメ−ションセンタ−」といった管理ツ−ルは邪魔になる。 上書きインスト−ルでWindows95をセットすると、これが残ってしまう。 どのファイルが不要なのか見極めは大変である。僕は下記の書籍を購入した。 「ファイル.ホルダ完全ガイド」 藤井比呂志著 SOFTBANK 1996 パソコンを使いながら、このリストにないファイルを徐々に消していった。 一気に削除するとトラブルことになる。まず不要と思われるファイルを圧縮してしまう。 たまに「ファイルが見つかりません」と警告が出る。その時は解凍して 元に戻す。2、3ヶ月何も警告なければ本当に不要ということ。最後にタスクトレイの時計の横にアイコン が残った。どうすれば消えるんだろう。 あるときC¥Windows¥system\IOSUBSYS\のCpqdnd.vxdを削除する。消えた。 やっと僕の無印PCAT機になってくれた。 |
Windows95の発売のころは、「Windows95とWindows3.1の共存」 といった特集が
雑誌誌面をにぎわせた。僕も使いはじめはWindows3.1のファイルを保存する
オプションでインスト−ルし、何度もWindows3.1に戻した経験はある。 しかし、アプリケ−ションをインスト−ルしだすとHDDの容量も圧迫するので 旧DOSやWindows3.1は消した。自宅のPCで色んな経験をしてWindows95の エクスプロ−ラ−の使い方にも慣れた。仕事場の事務所のPCにはWindows3.1は 残さないオプションでインスト−ルした。 僕はゲ−ムをしないので旧DOSにはこだわらない。しかし、Windows95の DOSプロンプトには興味があった。 業務用のDOSアプリは結構手放せない。Windows95のDOSプロンプトは 完全にメモリ−制約から開放された。Enginer Workstation という高級PCで動いていたフォ−トランソフトをコンパイルし、DOSプロンプトで 動かしてみた。 問題無く動くのである。この時は驚きだった。やったね!。ほんとに感激した。 ある時、本屋の店頭でこんな本を見た。ためらわず買った。 Windows95に隠されたDOSの秘密 吉野敏也著 ナツメ社 この本によれば、Windows95の起動手順は以下である。 (1)起動ドライブ(C:¥)のIO.SYS,MSDOS.SYS,CONIG.SYS,COMMAND.COMと読み込む。 AUTOEXEC.BATがあれば読み込む。 (2) Starting Windows95................... (3) C:¥WindowsのWIN.COMを読み込む。 WINSTART.BATがあれば読み込む。 (4) Windows95のオ−プニング.............. DOSプロンプトを実行すると他のアプリケ−ションと同列のタスクとして マルチタスクの一つとしてDOSがエミレ−ションされる。DOS窓である。 (3)でF8を押してCommand Pronpt only で起動する。 Windows95の終了で「DOSモ−ド」で再起動を選ぶ。 これらを実行すると画面一杯のDOS状態になる。この場合はDOSがOSの 全部を占領し、マルチタスクは出来なくなる。このDOSモ−ドは以前のDOS アプリに対応可能のための機能である。 僕はPCAT機のDOSアプリは持っていない。だからDOSモ−ドは 無用である。DOSは起動ディスクで動かせばいいだけである。 DOSプロンプトはC:¥Windows¥COMMAND\のCOMMAND.COMだけあればよい。 ここには多くのEXEファイルがあるが僕は消してしまう。 Windows95からもう5年、Windows3.1の画面も忘れてしまった。アプリケ−ション もWindows95版に置き換わった。実はC:¥WindowsにはWindows3.1のファイルマメ−ジャ−、プログラムマメジャ−が入っている(winfile.exe ,porgman.exe)。ぼくは welcom.exeといっしょにこれらも消してしまった。 |
COMPAQの起動ディスク。
ディレクトリは A:\ FILMTN EXE 66,169 92-01-14 BILING SYS 3,207 95-10-03 JFONT SYS 22,790 95-10-03 JDISP SYS 22,664 95-10-03 JKEYB SYS 22,487 95-10-03 JKEYBRD SYS 1,494 95-10-03 ANK16 FNT 4,096 95-10-03 ANK19 FNT 4,864 95-10-03 KANJI16 FNT 260,576 95-10-03 CONFIG SYS 129 98-08-13 COMMAND COM 116,802 95-10-03 FILMTN COM 935 92-01-14 FILMTN CNF 2,935 98-08-13 FDISK EXE 72,728 95-10-03 ATTRIB EXE 16,356 95-10-03 EDIT EXE 72,654 95-10-03 REGEDIT EXE 125,440 95-10-03 AUTOEXEC BAT 44 98-08-13 FMCUST EXE 16,123 92-01-14 DEBUG EXE 23,834 95-10-03 CHKDSK EXE 37,744 95-10-03 UNINSTAL EXE 76,832 95-10-03 CPQIDECD SYS 14,957 95-03-28 MSCDEX EXE 2 5,767 95-03-28 FILMTN HIS 4 2 98-08-19 25 個 1,011,669 バイトのファイルがありますCONFIG.SYS DEVICE=BILING.SYS DEVICE=JFONT.SYS /MSG=OFF DEVICE=JDISP.SYS /HS=LC DEVICE=JKEYB.SYS DEVICE=CPQIDECD.SYS /D:IDECD001 /L:JP AUTOEXEC.BAT @ECHO OFF PROMPT $p$g MSCDEX /D:idecd001 これでCD−ROMも読める。ファイル管理もフリ−ソフトFILMTNでできる。 |
エクスプロ−ラ−で漢字がおかしい。ファイル名の「管理」が「管・」となったりする。
FONTSのMSGOTHIC.TTCを削除して修復インスト−ル。![]()
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LANを組んでファイル共有をしているとネットワ−クの便利さ
に気付く。社内のアプリケ−ションの統一とコラボラ−ション計画が浮上する。
文書作成、予定管理に便利なアプリケ−ションは何だろう。 僕もワ−プロは一太郎だった。一太郎からDOSのNEC98の世界に入門したと いった方が正解だろう。Windows3.1の一太郎はDOSと同じ操作性で抵抗感はなかった。 Windows95版は一から操作を覚える必要があった。Microsoft Office でWORDを導入し二つ並べると、どうせ使い込んで慣れるのに時間がかかるなら WORD一本にしようと決めた。それで一太郎はバ−ジョン8でやめてしまった。 一太郎8を削除し、50MBのHDDの容量を稼いだ。ATOK11 とお別れするのはつらかったけれどIMEにした。 表計算も同じように123からEXCELに乗り換えた。この時、EXCELの FileConverterの完璧さには感服した。一太郎文書や123の資産 はスイスイ変換される。僕はMicrosoftの戦略に素直に誘導されたことに なる。 こうしてMicro soft Office一本に絞りWindows95で仕事をしだした。 OfficeにはOutlookとしてスケジュ−ル管理ソフトが統合されている。 Todayの画面から、メ−ル、アドレス帳、スケジュ−ラ−が使える。 業務では工程管理には一苦労するのだが、このTodayには期待した。 ところうが、アシスタントとのスケジュ−ルの共有ができない。マニュアルや 市販解説本を参考に色々やったのだが、どうも出来ない。このスケジュ−ラ−は schedul+から進化したものだそうだ。Outlook98では、 結局Exchane Serverの導入が必要ということらしい。 僕はWindows95とお付き合いしながら「受信トレイ」を整備し、ポストオフィスを設定 してLANを活用させていただいている。かってはLANといえば、サ−バ−とクライアントが決まり文句だったようだが、僕はクライアント同士が手を繋ぐPeer TO Peer で行こうと決めている。Microsoft Officeは僕のこのコンセプトに 答えてくれない。20世紀の終わりの年末に、Excel、Wordを残し アンインスト−ルをした。 Office97をインスト−ルした時、レジストリ−等の変化を記録に取っていた。 744個のファイルが追加または修正されている。IEのVer.4を基本とする この製品は、多分Windows95の基本システムまでバ−ジョンアップをしてしまった と思っている。これを戻すんだから世紀末のアンインスト−ルは結構大変でした。 |