第三の波2000.12.1


 

一冊の本
 

 いつだったか忘れたが、僕もNHKの特集番組「第三の波」は見たように思う。 アルビン.トフラ−氏の「第三の波」は、1998年の秋、近くの古本屋で購入した。 この年は日本の金融ビッグバ−ンの始まりである。喫茶店でのランチの時間に 日経新聞を読んでいた。次々に紙面に掲載される経済記事に目が離せず、このランチ タイムは結局その1年間欠かさない日課となつた。
アルビン.トフラ−氏はワシントン駐在新聞記者を経て、経済誌ホ−チュンの編集者 であつた1980年、この著書を出版。ベストセラ−となった。

僕が日経新聞を読み続けていた年、こんなコラムを見た。


コラム 地球回覧 ロサンゼルス支局 野村裕知(1998/12/1 日経 8面)

第三の波の著者アルビン.トフラ−氏は情報リッチとプアの問題は杞憂だったと述べる。
...IBM 500ドルパソコンを発売。米インタ−ネット利用料は回線利用料を含めて 実質20ドル/月以下...1992年米副大統領が2020年目標の情報ハイウエイ構想を打ち出し、 市場原理だけではデジタル社会は実現できないと公約に財政資金を盛り込んだ。 情報ハイウエイ構想は鶏の声の役目はしたが、結局、ほとんど投入されず、デジタル 革命は勝手に幕明けした。巨大通信会社が立地する東海岸ではなく、 通信辺境のシリコンバレ−の西から明けた。..................

 著書の中で述べているが、 氏は使いはじめたワ−プロで原稿の後半をまとめたという。インタ−ネットIT革命 の前の時期に書かれたことは確認しておく必要がある。 1955〜1965、ホワイトカラ−とサ−ビス産業で働く人がブル−カラ−の数を 上回った。この時期を第三の波が勢力をたくわえた時期と見ている(p26)。この書は ジャ−ナリストとして氏が目にした1955年から1980年までの米国の状況からの 洞察ということになる。
 1980年10月出版の日本語版には「超大国日本の神話」が付記されている。 ここに「Japan asNO1」と持て囃された当時の状況についてのコメントがある。 日本型経営の生産性の高さという神話に踏み込み、輸出に重点を置いた 若干の部門を除いて、じつは生産性は低いことを指摘している。そして、中央集権化 のシステムは奇跡とよばれる成功を収めた反面、指導者の過ちがあれば影響も大きいだろう としている。さらに、次のように記している。
...........超大国日本の神話が、ほかでもなくこの時期に生まれたのは、アメリカや ヨ−ロッパの政界の指導者や企業の幹部が、自分達の重大な失策を取りつくろう口実として 、新しいいけにえを必要としたからだ...............
 出版後18年で僕はこの本を古本屋で購入した。足元に押し寄せた 波を僕も乗り越えなければいけない、一体今迄はなんだったのだろう、これからどうすれば いいのだろう、抱え込んだ疑問に羅針盤を求めたかったのだろう。この時、石森章太郎の 「マンガ日本経済史」も同時に買っている。

序論で氏はこう切り出す。
 今日、世界のいたるところにいっせいに強大な波が押し寄せている。そして、 人間が仕事をし、レジャ−を楽しみ、結婚し、こどもを育て、やがて引退していく環境を、 この波が一変させ、しばしば奇妙な状況を出現させている。 自覚しているいないは別として、われわれの大半は、すでに新しい文明の創造に参加しているか 、あるいは、それを拒否する勢力に荷担している。そのどちらを選ぶかの選択にあたって、 「第三の波」が役立って欲しいと願う。

 本書は文明を農業段階の第一の波、産業段階の第二の波、そして現在はじまりつつある 第三の波と三段階に分けた。 第一の波の農業革命は数千年でゆるやかに展開された。第二の波の産業革命は、わずか 300年しかかからなかった。この第三の波はわずか2、30年で歴史の流れを変え、 その変革を完結するのではないだろうか。(第1章明日への大闘争p20) 第一の波と第二の波との衝突はつぎの歴史上の事件に対応する。(第2章文明の構造p36)
1861 南北戦争
1867 明治維新
1917 ロシア革命
この後の第二の波の社会の特徴は規格化、同時化、中央集権化といったものであり、 この構造が、良きにつけ悪しきにつけ一つの制約である。
現象面では
  • 働く場が田畑から工場に移ると大家族制は姿を消し、移動可能な親子の核家族 へ移る。
  • 大衆化した教育の表向きのカリュクラムの根底に第一に時間厳守、第二に融和と服従 第三に反復作業に慣れることが必須となる。
  • 決して死ぬことの人間=法人による資本の集中と蓄積。
  • ...

     彼はこの文明を産業主義と呼び、 異色の歴史学者はソビエト連邦の崩壊を予言したが、今日、それが実現すると考える 人はまずいないだろう(p450)....としながら
    マルクス主義、反マルクス主義の両者は非産業地域に進出し自説のイデオロギ−を説いたが、 一様に産業主義の優越制を説いていることには双方とも気がつかないかのようであった。 (p148)
    かくして全世界に広まった産業主義という文明は、いつしか新たな進出先を失う段階を迎えた。 それが今である。文明の成立する最も基本の部位に目を向けると、 第一の波のエネルギ−源は帆をはらませる風も、水車を回す水も、これらは自然の循環の なかで再生可能であった。自然の生み出す利子での生活と文明であった。
    第二の波の文明、産業主義のエネルギ−は自然の貯えた化石燃料。これは再生不可能な ものであり、これを食いつぶすことで成り立っている。正にこれは本質である。
     僕は工科の学生だったが、一応経済学原論は学んだ。労働は付加価値を産み 対価として貨幣を得る。その論理は理解できた。労働の付加価値を載せる原料は、採掘される前は 価値はゼロなのか、無尽蔵なのか。この点は疑問だった。企業において資本が拡大再生産により 利潤を生まないと企業自体は消滅する。しかし、その企業の林立する産業主義という文明は 元々資本を食いつぶすシステムであったということである。この事は誰も口にしない。 うまく立ち回る者は勝者である。しかし、誰もうまく立ち回れない時が来てしまった ということなのだ。
     ひとつのシステムが動き出し、その魅力に「バスに乗り遅れるな」という状況は よくある。このバスがどこまで走り続けるのか、次の駅はどこなのか。乗っている 間に考えることにしよう。まず乗ろう。そんなことはよくある。生活とはそれ自体 そういうことなのかもしれない。無傷でそのバスから降りられないことだってある。 僕もバスから一度降りたことがある。小学5年の息子が学校へ行けなくなった時である。 今では不登校は市民権を得たが、その時はまさか自分の子がと狼狽した。教室の授業運営 をこの目で見、学校との交渉にも足を運んだ。僕は息子としばらく停車場ですごした。 無理強いで彼の自尊心を傷付けることはしないと心に決めたからである。 1991年の出来事である。多分僕にとって「第三の波」の第一波はあの時だったよ うな気がする。
     到着した飛行機の機長に行き先を訪ねると「未来」と言う。副操縦士に訪ねると 「幸福な未来」 と言う。機関士に燃料はいくら積んでるのかと訪ねると「充分」と答える。次の中継地で 機長は交代する。その次で機関士は引退の花束を受けることになっている。 だからそれ以上は答えられない。文明とはそんな飛行機かもしれない。飛行場に 1台の飛行機しかなかったら、僕は乗って見ると思う。乗り継いだ飛行機が どうも次の中継地までの燃料がなさそうだと予感した時、この飛行機から降り ることにした。バックから1冊の本を抜き取り小脇に抱えてレンタカ−に乗る。 少し気ままに走り、海岸線まで出るつもりだ。多分、2000年と20001年の 境目をこの1冊の本と越すことになりそうだ。

  • 2000.12.1
    by Kon