尾張国古絵図
「尾張名所図絵」の巻頭にあるこの絵図を初めて見た時、
一瞬息を止めて眺めたことを今でも忘れない。2年前である。
この「尾張名所図絵」は明治の文明開化による風景を基に
明治23年、宮戸宗太郎氏によりGUIDE BOOK OF
OWARIとして出版された小冊子である。
(稲沢市図書館所蔵)
三河国の猿投神社に古地図が伝わる。江戸時代に複写されたと
伝えられるものが多くの書に引用されている。その注釈を記す。
古絵図ノ原本ハ何年間調整シタルモノカ旦其ノ所在ヲモ
判明スルコト能ハズ惟古老ノ口碑ニ存スル所ハ養老年間ノ
地形ニシテ該社ノ宮殿ヨリ出シト云フ
尾張平野はかって養老山脈を断崖とする深い深い谷でした。
1万年程前から海面上昇し、海がひたひたと山に迫りました。
6000年程前、ピ−クに達します。縄文海進と呼びます。
2回程海が後退したといわれます。今から2000年前、
4m程低下しました。その時期は大和朝廷成立の古墳時代に
呼応します。その500年程の間に、神は人に恵を与え
ました。沼や川跡を巧みに利用し堤防を築く技術を持った
氏族は葦原を耕地に変えることができました。それは、正に
「国産み」だったのでしょう。海面は再び上昇し、現在の
高さに落ち着きました。築かれた堤防は海を阻止しましたが、
基本的には尾張の姿はこの縄文海進の姿なのでしょう。
時として、神は私達にその事を告げる。
昭和34年の伊勢湾台風時の水没線は縄文海進と重なると言
われます。縄文遺跡の分布はこの水没水際線上に点在すると
いう。
2000.8.17
by Kon