尾張平野の蔬菜


白菜、大根、なすび、うり、たで。漬け込み用の材料。

 尾張平野は野菜の一大産地。江戸時代、名古屋の城下に供給するため 小田井に市が立った。明治期には、その日の値動きで、枇杷島(小田井) か大垣(岐阜)かに荷を大八車で運んだ。尾張の農民は、換金作物により 経済感覚を自然に身につけていた。小田井の市の歴史を調べると、この地方 では、市場の手数料3%を巡る青物騒動があった。それは、輸入の経済理論ではなく、江戸期からの伝統の上に自前の市場経済原理を築いて行く健全な発展段階と理解できる。その灯を消してしまったのが、戦時統制経済であった。

 尾張の夏は暑い。蒸し暑い。日本で一番過酷だと思う。ここで生まれ 育った者には、それが普通なのだが。ある時、信州で一夏暮らした。ほんの 一週間の避暑のつもりが、とうとう帰るのを止めてしまった。 母が心配して安否をたずねて来た。
 夏バテで食が進まない時、浅漬けのうりと茶漬けを流し込む。それで 十分。尾張の人間のバイタリテーは、そこにあるのかもしれない。人体を形成するアミノ酸は全部で20種類ある。穀物のなかで、唯一「米」だけがその全部を持っている。「米」を主食とする人間の強みである。
 ここ萱津の少し上流には、信長由来の 清州城がある。尾張の農民は米を食っていた。余ほどの飢饉でない限り、米が食えた。 信長に従った農兵は、腰に干し米をぶら下げていた。途中の集落で 略奪はしなかった。それが尾張の信長が天下統一をできた歴史的背景なのだろう。 米と塩と野菜。尾張の三英傑の物語は、単純な武功伝では語り尽くせない。 秘密が、ここにある。
 農家の台所の片隅に、どこでも甕が一つや二つあった。味噌漬けの甕。 ほんとうに美味しいのは、三年物のうり。握り飯にはうってつけ。 たまに、この地方のイベントで賞味できる。しかし、それは自家製。 グルメにとっては、「まぼろしの味」であろう。ほんとうの食通なら、 一度はこの地を尋ねてみるがいい。なぜここが日本唯一漬物祖神の地 かわかるだろう。なんの変哲もない漬物も、知的好奇心で味付けすれば、 飛びっきりの食材になるはずなのだが。


 中学の修学旅行で東京へ行った。白味噌だった。「関東は白味噌」と覚えた。京都に行って白味噌。北海道に行って白味噌。「なんだ、赤味噌なのは尾張だけなのか」と理解したのは大人になってから。井の中の蛙は、井戸水の本当のことは分からない。地域の交流のなかで、産湯の水の個性を知ることができるのだろう。
 中学の理科の教師のアダナが「カリモリ」だった。「カリモリ」とは、この地方の 青うりの伝統種。この「カリモリ」の浅漬けや味噌漬けは絶品。沖縄には行ったことが ないのだが、南北に長い日本の大抵の所は行ったことがある歳になった今 でもそう思う。だから、本物。「カリモリ」はこの地方でしか栽培しない。 ということは、この地方固有のブランド品ということ。しかも、市販はしない。 たまに自家製の物をご相伴する機会がある。もし、懐石料理の最後に、白いご飯とこの 漬物が出たなら、それは「尾張ブランド」の本物ということなのだろう。その料理屋 の自家製か、農家と契約した特別仕込み。「幻のブランド品」を心して御賞味あれ。 ただ、最近は中国産のうりを使うと聞いた。まさに「幻のブランド品」の時代になってしまったのだろう。


by Kon
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