この祭に寄せて


  昔、神が、富士山を作ろうと近江の土を両手一杯にすくって、大空を東の方に向かっ た時、指の間から土をこぼした。そのこぼれた土でできたのが、この「尾張冨士」という。尾張富士 大宮浅間神社の社伝では、祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、建立は 奈良時代の天平元年(729)。「浅間神社」は、静岡県富士宮市に鎮座する「富士山本宮浅間大社」 を中心に、全国に1300余社に及ぶ。この尾張富士山頂の奥宮の社殿裏から、入鹿池の山越しに富士が見られる という。
 四月の初申の日に、山開きをする。本社において神事を行い、神輿を中宮に移す。五月三十一日 から六月一日にかけて、神輿を奥宮に移す。これが大祭である。 そして、十一月初申の日に, 遊幸の神輿を本社に戻し,閉山となる。かっては修験者の霊山であったのであろう。本来、火振り神事 は旧暦五月三十一日に行われた山を清める神事。石上げ祭は神輿渡御に由来するのだろうか。 近年は新暦8月1日の祭礼として1日で行うことより、火振り神事が後の行事となってしまった。 昭和49年から8月の第一日曜の行事となっている。
  日本武尊が東征の時、駿河国に於いて賊徒の野火を富士浅間大神を 祈念してのがれた。「富士山本宮浅間大社」は、この故事を創建伝承とする。祭神は大山祇神の娘で、瓊瓊杵尊の妃、木花開耶姫命とする。尾張富士大宮浅間神社の祭神が木花開耶姫命である所以であろう。尾張富士の北の里山に 歴史の古い式内社、虫鹿(むしか)神社がある。この神社の祭神は國常立尊、國狹槌尊、豐斟渟尊、 大日靈貴命、菊理姫尊である。「古事記」に記されたこの神々の物語には興味がつきない。 尾張富士が背比べをした本宮山は、その麓の大県神社の御神体山である。この地、愛岐丘陵一帯は 尾張平野の神々の古里なのだろう。
  尾張富士の中宮から、正面に岐阜金華山が望まれる。その先には伊吹山。若き日の信長は うつけ者と呼ばれたその時に、馬を駆ってここに立たのではなかろうか。「あの山は何だ。」、「稲葉山でございます。」 「その向こうの山は。」、「伊吹山でございます。」、「その向こうに何がある。」....。そんな会話が きっとあったのだろう。沈みゆく夕日を眺め、そんな空想をしてしまった。この祭には、そんな雰囲気が どことなくあるような気がする。


羽黒朝日連、昭和初年頃
(社務所の壁面展示パネルより)


2001.8.5
by Kon